仏様の姿をした仏像とは一般的に人の思いや願いから作られたものであったり、偉いお坊さんなどのイメージから造像されたもので、実際の仏様の姿と異なるもので色々な意味があります。
はじめに
仏像とは、その多くは仏様の姿を具現化したものであって本来の姿とは異なります。
具現化という言葉は普段あまり聞きなれないと感じますので、まず具現化という意味から説明させていただきたいと思います。
具現化とは。。。理想や考えを具体的なモノや形に実現することをいいます。
こういったことから、仏像は人の願いや思いを具現化(イメージを形に実現)したものであって仏教の教えに沿ったものが作られてきました。
その流れはヒンドゥー教や大陸のアジア圏からのものを仏教流にアレンジしたようなものだったり偉いお坊様が浮かんだイメージしたものが仏像の流れです。
もちろん、そのほかにも時の天皇などが様々な思いから作らせたものもあります。
このようなことから「仏様の御姿が仏像そのものではない」ということを知っていただくために記事にしております。
仏像に仏様が入っているとは限らない
みなさんが何気なく拝んでいる仏像のなかには、仏様が実在していなかったり別の存在が入っていることがあります。
そもそも仏像とは前述しましたが見えない存在(神仏)が作れといって出来たものではなく、何らかの目的で人間が願いやイメージで作ったものに過ぎないのです。
一般的には、その仏像に御霊入れ(開眼)というものをするから仏様が仏像におられると解釈していますが、当然の如く仏様にも選ぶ権利があるのです。
通常は仏像を開眼しますと仏様が入って(繋がって)下さるのですが、開眼したからすべてに仏様がいらっしゃるとは限りません。
いや、「たくさんの信者さんがおられるなら御慈悲があるから入られるでしょう」は甘く、それなら違うお寺に参りなさいになるのです。
仏とは先見の明があり人々それも特に僧侶の心はお見通しなわけで、お寺や僧侶などの欲や邪な目的のために仏像に入られることはありません。
では仏様が入らなければ何が入るの?といえば、邪や魔が入るのです。
もちろん、神仏などが何も入っていない空の仏像もあります。
霊感のある人のなかには仏像から何も感じなかったり似つかわない違和感を感じた人もいることでしょう。
写真や開眼していない仏像(私物)には違うものが入ると指摘する霊能者はいますが、その流れを知っていれば理解できると思います。
※神仏は基本名乗ってくれることはないので、名乗られたり姿を見て判断することは高い確率で存在を見誤ってしまうことになりかねません。
見えない世界には、神仏などに化けるものが多いですから。。。
開眼(魂を入れる)祈祷をしたら仏像に仏様が絶対入るというものではなく、あくまで人間が作ったものに仏様に入ってもらうお願いをするのであって、仏像に仏様(神仏)を強制的に入れているわけではないのですよ。
ということから、仏像とは人間が具現化(=理想や考えをモノや形にすること)して作ったものであって必ず仏様の魂が必ず入っているのではないということです。
仏像の姿が仏様本来の姿ではない
変なことを書いていると感じるかもしれませんが、至極まともな話です。
前述しましたが仏像は人間が具現化(イメージ)して作ったものであって、その多くは実在の姿とは限りません。
では、なぜ仏像の姿をして仏様が出てくるのか?
五穀豊穣・祈願・祈祷・御利益などといった仏像に対する固定観念に対して、その姿を表すほうが適していると容易に判断できるためです。
もしも。。。仏像と違う姿で仏様が見える人のもとに現れたら、何者が現れたのか疑ってしまわないでしょうか?
例えば芸能人のタモリさんが、その辺にいるオジサンやスーパーで見かけるようなオバサンの姿で現れて「私はタモリだ」と名乗られても信じられないのと同じことです。
それほど、人間は固定観念に縛られる生き物なのです。
仏像に限らず先祖や故人が老衰で亡くなったのに、視える人には病を患った姿ではなく元気な姿だったり夢でも同様な様相からもわかる通りです。
現実的なことを申しますと、故人の霊であっても亡くなった姿ではなく数十歳若返った姿で出てくることも可能なのです。
それは肉体や物質として人間が認知するための範囲で姿を現しているに過ぎないのです。
つまりは仏像も同様に仏様の本来の姿とは少し異なるといっても、何ら疑問が出るものでもないということです。
むしろ人間の先入観は危険なものでもあり、視たもの聞いたものを鵜呑みにして自由な思考や発想が妨げられることにあります。
先入観とは。。。対象認識において誤ったり偏った認識や固定観念また妥当性に欠ける評価、判断などの原因となる知識のことを言います。(一部ネット引用)
身近なところでは、社会においてマスコミやネットの情報によって観念が操作されることも誤った認識を植え付けれるようなことと同様と感じます。
さいごに
当ブログは注目を浴びたり人気を得るために多くの人が知り得ない記事を書いているものではなく、当ブログによって何らかの気付きや導きになれば意義あるものとしています。
一度、先入観をリセットして仏像を見たり自己の感覚を研ぎ澄ませてみても良いと感じます。
それでは、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>