神社やお寺の縁起物に対する捉え方は個々に違いがあるようで、記念や土産として買ったり眷属様が寄ってくれるなどといったことがありますが、最終的に一番大切な捉え方として認識しておいたほうがよいことを説明していきます。
神社やお寺に参拝に行って縁起物を購入する動機も様々で、最近は有名なブロガーさんが縁起物には眷属様が寄ってくれるものがあると発信されていると聞きます。
単に気に入ったり記念といった購入も、自分の利を考えた購入も動機は各々違って当然ですし良いと思います。
しかし、私たちが参拝に行ってお納めさせていただく「お賽銭」というのも多くの人が少額だと思いますので、やはり神様や仏様に不憫をおかけしたくない見地からしますと、縁起物などを買うことで神社仏閣が潤ってもらわねば始まらないわけです。
いくら非課税だといいましても、法事などを主としていたり檀那寺(檀家を抱えるお寺)を除いて多くの神社仏閣の収入も限りがあるわけです。
特に人々のために祈祷をしているようなお寺は有名であっても収入は安定していませんし、建物の改修や仏像のお手入れなど時期がくれば莫大な費用が必要になってきます。
神仏の存在を信じるか否かということはありますが、神仏は存在し私たちに気付きを与えてくれたり手を差し伸べたりしてくれているのです。
それは神仏との波動が合わなくて気付かないだけでなく、人間のようにやってあげたという精神がないため存在を現わさないだけだったりします。
祈祷や祈願によって救われる人が実際に多くいることは周知のこととして、自己に直面していなくとも既に何らかの御加護をいただいていたり、先々にお世話になることもあるかもしれません。
そうした利他愛だけでご尽力されている存在を維持していただける場所として神社仏閣というものがありますので、お賽銭ならずとも縁起物を買うということは神仏に対して最終的に回っていくものとして捉えていただきたいと思います。
ひとりひとりの考えが神社仏閣で購入させていただくものが、すべて還流されていくものとして理解いただければ幸いです。
では、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>