神仏に関すること

仏様を信仰したり拝んでも気配する感じないのは?

仏様を信仰したり毎日拝んでいるのに何もなく気配すら感じないという相談を受けたり耳にします。このようなことは根本がわかっていないためなので、これらを説明していこうと思います。

 

自分(人間)目線で仏様を見ているために、見返りを求めようとすることから結果を重視するのです。

 

当ブログでも幾度か説明していますが、仏様は利他愛を尽くされておられ、すべての行ないに対して見返りを求めておられません。

 

つまり、ここで一番大切なことは「気付き」だということです。

 

これ気配と何が関係あるの?と疑問に思う人もいるかもしれませんが、この時点で仏様に対する考えがわかっていないという人の思考な訳です。

 

さらに掘り下げていえば、「なぜ気配を感じる必要があるのですか?」ということになります。

 

自分の欲や願望を満たそうとするから気配云々というだけで、結果として信仰や一生懸命拝むことの目的は何か?ということです。

 

我欲や早い結果を求めるならば、信仰することも拝むことも辞めればよいとも失礼ながら思ってしまいます。

 

どの仏様とは書きませんが、仏様の中には一生かかっても気配すら感じることが出来ない仏様も少なからずおられるのです。

 

しかし、仏様は仰られます「拝みたければ拝むが良い、真言は伝わっておる」

 

ここに来られた人は、この意味を理解されるべしなのかもしれませんね。

 

前述しましたが、利他愛のお考えをもたれておられる存在が一生懸命に信仰したり拝んでいるものが気配も感じないと嘆いていても、「修行が足らん」という判断しかなさられないのです。

 

人間目線で仏様を見るから、自分目線で考えるから、そうなるのであって、私たち人間の尺度で全てのものを判断するのは早計過ぎると言わざるを得ません。

 

色んな情報がネット上や書物などで溢れ、仏様の気配や御利益というものが簡単であるかのように広められていますが、はっきり申しまして真実を語っている人は全体の一握り程度しかいてないのです。

 

そのほか多くのもの(スピリチュアル系)は引用・虚言・妄想であるといって過言ではありません。。。

 

当ブログが仏様の名前を一部しか出さないのは、そうした仏様の具体的な名前を出さないと人は興味を示さないことや模倣を避けるために極力公開することを控えているのです。

 

それに無闇に仏様のことを曖昧に書かれることを嫌う部分もありますが。。。

 

いまだに一般に出回っているスピリチュアル系ブログに興味がなく、僧侶や修験道経験者であってもウンザリするようなことを書いていたりしますからね。

 

ということで、仏様を信仰すること拝むということは見返りを求めず一心にやっていれば必ず果報や御加護は与えられるものです。

 

気付くか否かは本人次第ではありますが。。。

 

それでは、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>

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