霊能者・霊能力など

生霊や呪い(呪詛)を勧めない理由

生霊や呪い(呪詛)をすすめない理由

人を恨んだり憎しみから生霊を飛ばしたり呪い呪詛)を使うことは効果は見込めても、リスクの高いものになり生霊返しや呪い返しを受けてしまうと、今後の人生に対してタダでは済まなくなるのでお勧め出来ない理由をお伝えします。

 

生霊飛ばしや呪い(呪詛)は効果的であるが・・・

生霊を飛ばすことによって、相手を苦しめたり自殺未遂を起こさせたり出来るもので、死に致しめれるか否かは念の強さや飛ばされた相手の状況によっても違うものです。

相当の恨みや憎しみの念をもって生霊を飛ばす場合もあれば、無意識のうちに生霊が飛んでしまい相手に影響を与えることもあります。

呪い(呪詛)については、個人で出来る方法も様々なところで出ていますし、第三者(呪術師)に依頼して行なう「まじない」という手法により、神仏や霊的なもののチカラを借りて行使するといったものです。

それら呪いの類いは、本当に人を死に致しめることさえ可能なものといえます。

 

生霊を勧めない理由

基本的に生霊は個人の感情や強い念が霊となって飛ぶものなので、自分の意識や念の度合いによって相手が受ける影響も変わることがあります。

しかしネットなどに出ているように生霊返しをしたところで、一般の人には手に負えるものではないことは、私がまだ霊的な経験半ばのときに不動明王様にお願いして生霊返しをした経験があるので100%間違いのないものです。

つまり生霊返しをしたところで、またスグ戻ってくるのが関の山といえます。

それを一般の霊的な能力が開花していない人が、生霊返しを実践したところで叶うはずがありません。

しかし生霊という念を飛ばすということは、恨みや憎しみの念を飛ばすものであり魂の記憶に刻まれるもので、霊的にも肉体的にも後々影響がないわけではないのです。

あまり理不尽な念(生霊)を飛ばすものには、霊能者によって神仏の御力で伏せてしまうことにもなりかねないので、同等以上の影響が自分の身に降りかかる可能性も想定し、よく考えてから行なうべきものといえます。

 

呪い(呪詛)を勧めない理由

呪い(呪詛)といったものは、相手に対して強い影響を与えることが見込めますが、ハイリスク・ハイリターンな方法であることを知る必要があります。

個人であれ呪術師に依頼したにせよ、相当の覚悟をしないといけないものです。

もし呪い(呪詛)をかけた相手が気付かない場合はまだよいですが、もし勘づかれてしまうと呪い返しを受ける羽目になりかねません。

呪い返しを受けるということは、個人であれ呪術師に依頼したのであれ関与したもの全員に影響を及ぼします。

簡単にいえば、ミイラ取りがミイラになるようなもの。

呪い(呪詛)をかけた内容のもの以上が返ってくることになり、その後の人生を平然と過ごすことさえ出来なくなるかもしれない危険性を含んでいます。

霊の世界は本当に簡単ではないし、ひとつ間違えば怖いものといえます。

霊の世界の現実を知らないか少し知っているからといって、甘くみては多大なる影響を及ぼすことになりかねないのです。

 

さいごに

生霊や呪い(呪詛)といったものがネットや書籍に出ていることをよく目にしますが、こんなものが現代にまかり通っていることが疑問にさえ思います。

たしかに生霊や呪い(呪詛)的なものというのは現代でも通用しますが、相手に影響を与えたからといって自分にはまったく影響が及ばないといったことはありません。

因果というのは、すべての行ないから起きるものなので相手に非があろうが、このようなものを行使するということは同罪または両成敗でしかないものです。

もしも何らかの被害を被っても相手に何もしなければ、因果は相手だけが被り必ず相手がその報いを受けないといけないのが霊的な世界の鉄則です。

何事も自分の修行と捉え、やり過ごしたり問題を起こす相手を憐れむように努めて下さい。

 

では、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>

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