除霊・浄霊関連

地蔵菩薩は未浄化な霊を救う仏様

あちらこちらで見かけるお地蔵さん(地蔵菩薩)は普通に成仏できない自殺・不慮の死また未浄化霊たちをも救う仏様なのですが、救霊についての認知度がイマイチ低いと感じるため地蔵菩薩について説明していきたいと思います。

 

はじめに

当ブログでは神仏に対する名称は基本的に秘して運営していますが、自殺や不慮の死などといった相談も多いので書かせて頂くことにしました。

 

普通は故人に対して成仏といえば阿弥陀如来様にお願いすることが多いものですが、不慮の死などケースによって仏様を変えた方が良いこともあるのです。

 

当ブログの管理者は、不慮の死を含め地蔵菩薩様の御力をお借りすることも御座います。

 

様々な仏様がおられるというのも意味があってのことです。

 

過去記事でお地蔵さん(地蔵菩薩)に触れたものを書いているので久しぶり(数年ぶり)に自分の記事(地蔵に手を合わせてはいけない)を検索してみたところ、当時にはまったくなかった同じようなタイトルのものが多くあることに驚きました。

 

スピリチュアルは大半が引用の世界なので、それらに惑わされることなく正しいと思う内容だけをチョイスして参考にしていただければ幸いに思います。

 

当記事は一切引用をしておりませんが、能力も未熟であるため完璧なものではないことをご理解下さい。

 

地蔵菩薩という存在について

昔から家屋敷地内に祀られていることが多かった稲荷神(通称お稲荷さん)・地域の道端や山の道中などに祀られている地蔵菩薩(お地蔵さん)なのですが、双方とも一般の人に大変親しまれてきた存在です。

 

前者は五穀豊穣(商売繁盛)・後者は地域守護(また道祖神)です。

 

今回はお稲荷様は割愛しますが、お地蔵さまについて続けていきます。

 

このお地蔵様(地蔵菩薩)ですが、一般大衆より親しまれてきていますが尊格(仏様の階層)は『菩薩』という高い位をお持ちなのです。

 

一般の人からすれば仏様を全部同じように判断するかもしれませんが、如来➡菩薩➡明王➡天部といって尊格がとても高い仏様(左ほど高い順番)で、通常は菩薩クラスになると一生懸命お経という真言を唱えようが足しげく参拝しようが簡単に祈願を叶えてもらえない存在です。

 

しかし地蔵菩薩は菩薩であり悟りの境地を開いた身でありながら衆生という一般大衆や未浄化なる霊たちを御救いになられるのは、ただただ慈悲深い側面をお持ちであるためです。

 

個人的見解として、人々にとって身近な存在であり多くの人が日常的に手を合わせたりしてきた情景や思いなどを受取ってられるからとも感じますが。。。

 

その効力はさすが菩薩でありますが、欲に関わる願いは見向きもなさられません。

 

ここで注意していただきたいのは、お地蔵さん(地蔵菩薩)といってもあちらこちらにある仏像(石造?)には、地蔵菩薩と繋がっていない像や祠もあることです。

 

これは神社仏閣にもいえることなのですが、神や仏を祀っているからとか開眼したからといって神仏が存在しているとは限らず無や空のところもあるのですよ。

 

その理由は、あくまでも神社仏閣といった建築物や像といったものは人間が作ったものであって、神仏が言葉を降ろして建築させたり祀らせたものではないということです。

 

地蔵菩薩と救霊

ここからが本題のようにも感じますが続けていきます。

 

故人を成仏に導く仏様といえば阿弥陀如来様が浮かぶと思いますが、阿弥陀如来様はその名の通り如来様です。

 

如来様クラスになりますと、慈悲心は強くとも間違ったことに対して厳しく幾ら縋ったとしても相手にさえしてくれません。

 

私も、ある別の如来様に拝みたければ拝めば良いと釘を打たれています。(汗)

 

 

そこで地蔵菩薩様なのですが、地域におられるお地蔵さん(地蔵菩薩)のなかには行き倒れになった人の霊や不慮の死を遂げた人の霊などが今なお縋っていることもあるぐらい霊を救う(救霊=きゅうれい)心が広い存在です。

 

しかし未浄化になってしまった霊には仏の姿が見えないものも多く(波動が低いため)、そのためにお地蔵さんの祠や山中の像の近くに居たりもするのです。

 

そのほかには、餓鬼となったものが来ることもあります。

 

この餓鬼というもの厄介で憑りつくと結構重苦しくなり簡単に離れてくれませんが、ある方法を使い成功すると普通の除霊より楽に離れてくれることがあります。

 

念のため、手法は公開いたしません。

 

不慮の死を遂げたり自殺した人の遺族や身近なものが祈願するには、ケースによっては阿弥陀如来様よりも地蔵菩薩様のほうが願いが通りやすいということがあります。

 

浄土に導くというよりも諭したり意識を変えてくれる御力があり、それに応じることが出来れば長きに渡り彷徨うことも回避できることになります。

 

それには遺族や近親者の祈願(普通に参拝で可)や祈念が必要であり、菩薩様から勝手に手を差し伸べてくれるというよりも何らかの祈念を受けて御力をお貸し頂けるのです。

 

施餓鬼法要もいわば、これに類(るい)するもので何らか苦しんでいるものたちを救い上げるための法要として執り行なわれています。

 

地蔵菩薩に関わらず神仏という存在は私たち人間よりも波動が高く、ずっと仏像のなかに入っていたり神社仏閣といった敷地内におられるものでもなくて都度降りてきて下さるといったほうが正解のように感じます。

 

波動の話はまた機会があれば、いずれ触れていこうと思います。

 

そうした様々な要素があるなかでの救霊をなさって下さる偉大な存在が地蔵菩薩というお地蔵さんなのです。

 

さいごに

あまり諸尊の名称を使った記事は控えさせていただいていますが、今回の記事に該当するご遺族や近親者がおられましたら、何も損するものでもないので参考にしていただければ幸いに思います。

 

本当は仏様のことをよく知らなくとも、一心に祈願や祈念を続けていれば叶うものがあるのも仏様の世界です。

 

霊能力や仏様と関わる距離よりも大切なのは祈願する人の『志』ひとつです。

 

それでは、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>

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