未分類

カルマ(業)とは|清算・軽減・因果について

カルマ(業)とは、古くはインドから生まれた言葉で「行ない(行為)」や「意志」といったものであり、善い行ないも悪しき行ないも必ず清算するときがくるというものです。ここではカルマの清算や軽減や因果などについて説明していきます。

 

カルマつまり『業』を簡単に説明

業というものを「ぎょう」と読めば、生活のための仕事や生業(なりわい)といったものになりますが、今回お話させていただくものは仏教で用いる基本的概念を意味する「ごう」というものを説明させていただきます。

この業(=ごう)ですが、身体・口・意志が行なう善悪の行為のことをいいます。

これらは過去世の善悪の行為が今世に持ち越されただけのものであり、自然にとか勝手に降って湧いたものではないものです。

このことを簡単にいうと因果(律)によって起こるものであって、過去世において自分の行為や意志による原因がなければ何も起こらないということです。

地上に人間として生まれて来て過去世の記憶がないだけで、キッチリと自分の行ないの清算をしているに過ぎないのです。

ここでは古代インドのサンスクリット語云々やヒンドゥー教などといったことは説明しませんので語源等はWikipediaなどでお調べ下さい。<(_ _)>

 

カルマの解消は他力本願では叶わぬもの

稀?に霊能者や宗教団体などでカルマの解消をするようなことを見受けますが、このようなことは完全なる偽りです。

そのなかに、カルマが解消できたというレビューがあるならば、それはカルマ(業)ではなく全く別の霊的なようなものか偽レビューでしかありません。

カルマ(業)を幾ら神仏に祈っても解消できるものでもありません。

他力本願でカルマを解消できると思う方が身勝手なことであり、過去世とはいいましても自分がした何らかの悪しき行ないが返ってきているだけなのに、そう安々と解消できるものではないのです。

 

カルマは受け入れるしかないの?

答えから申しますと、当然受け入れるしか方法はありません。

すべての事象は表裏一体であって、それは人間つまり霊的であっても同じだからです。

もしカルマ(業)が苦しくて自死を選択しても逃げれることはなく、来世も今世と同じような境遇を過ごすことになります。

なんらか自分の行ないが今世で返ってきているだけで、自分が過去世で清浄に生きていれば今世において問題のある境遇に出会うことはないのです。

逆に申しますと、完ぺきな人間になれば地上に再生することなんて必要ありません。

 

過去世で覚えていないとはいえ、前世で他者に酷い行ないをしたとしましたら、今世では人間関係がよくないこともあります。

恋人や夫婦といったパートナーに対して裏切ったり自分勝手に捨てた過去があれば、当然ですが今世で恋人が出来なかったり浮気されたり最悪良縁に恵まれないことだってあります。

イジメに会う場合も、過去世で肉体的であったり精神的に人を追い詰めてしまったことが原因であり、それが現代と異なった模様のなかで起こった過去世であったのです。

肉体的に他者を傷付けたり最悪殺した場合などは、他人から暴力を受けたり病気で苦しむ期間が長引いたりすることもあります。

上げればキリがありませんので、今世の境遇は自分の過去の転写ということですから逃げることなどできるはずもないので、苦しくても受け入れるべきです。

 

カルマ(業)の軽減というものは出来るのか?

カルマ(業)を軽減したいと願うならば善行を積むほかに方法はありません。

しかし善行を積んだからといって確実にカルマが軽減されるか否かはカルマ(業)の度合いによるでしょう。

それよりも潔くカルマ(業)の解消のために乗り越えることを考えるほうが賢明です。

必ず言えることは善行を積むことは微塵も無駄ではないということ、来世での善行貯金みたいなもので良いカルマとして返ってくることになります。

よくスピリチュアルでは輪廻転生と言われるように、何度も生まれ直してくるなかで今世が不運や不幸と思うならば、今世では来世のために心から善行を積むこともアリなわけです。

 

善行の内容によっては、カルマは軽減できなくても神仏からの御加護を受けれることにもなりますので、悪いことばかりと嘆いたり感じなくなるかもしれません。

こうして言えるのは私が幸福とは言い難い境遇のなかで神仏からの御加護や御力を頂けていることに確信出来るものが多くあるからです。

とはいえスピリチュアルをやっていても無闇に神仏の御力を行使することは恐れ多いので、生まれながらに能力を持ち合わせた霊能者のように商売にはしないわけです。

少し逸れてしまいましたが、カルマなのか今世で不運や不幸な境遇も過去世からの帳尻合わせだということを理解されて、今世では真っ向から立ち向かって頂ければと思います。

 

カルマ(業)の内容は現在の境遇がヒントとなる

カルマ(業)と因果というのは同じようなものではありますが、因果というのは原因があるから結果として起きるのであって今世で報いを受けることもあります。

いま置かれている境遇が今世での自分の行ないや心から起きたものなのか、いわれのない不幸や不運が自分に起きたのかを判断基準とします。

前者は因果応報といって今世での自分の行ないによって起きたもの、後者がカルマ(業)といったものになります。

私なども生まれながらに不運な境遇から始まっていますので、相当なカルマを背負っているということだけはわかります。

ふと思ったのですが、境遇は別として何故かよくモノを盗まれるといった人は、過去世で何らかのモノを盗んだり人の恋人を奪ったような面があるかもしれません。

大体は現在の境遇に似通った逆の立場でカルマを背負ってしまった可能性が高く、過去世での行為や意志(心)が酷いほど今世でのカルマは長引いてしまうことになります。

家族関係で疑問がでるようなケースでは過去世で親子関係が逆であったり、子供と前世で夫婦であったということも無きにしも非ずなところです。

日本にも悲しい過去があり、国民の多くが貧困ゆえに口減らし=食い扶持を減らす)といって身籠った子供を殺してしまったり高齢者を山に捨てるといったことまであったわけですから、今世でのカルマという形で出ても全くおかしくないのです。

西洋では宗教弾圧や魔女狩りなどといったもので残忍な殺人も行われました。

歴史的にみましても戦争や争いなど様々な醜い時代を経験して輪廻転生してきている可能性もあるので、誰しも何れかの段階で悪しき行ないがあった可能性は否めないように感じます。

それに今世と同じく日本や地球に存在していたとも限らないということ、何年何百年前に生まれたのかなどもカルマ(業)に関係しているのです。

 

さいごに

カルマ(業)というのは、悪しきことの代表のように不運や不幸なことばかりではありませんし、当然に善い行ないをしていれば来世にも影響していくのです。

今世はツイていないと思うならば、来世のために如何に善行の貯金をして人も羨むぐらい輝かしい再生を望めば良いだけです。

生きにくい世の中とはいいますが、いつの時代も他力本願ではなく他責することなく、すべては数百年数千年生き続ける魂(霊体)として、今世での1ページを自分なりに切磋琢磨しながら綴っているだけに過ぎないのです。

見えない感じないからこそ悩む地上の世界ですが、これも分からないから成長できるものなので、ひとりでも多くの人が肉体がなくても魂として生き続けていることを信じて光を目指して欲しいと願います。

 

では、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>

 

こちらのバナーをクリックしてくださると、管理者の励みになります。


にほんブログ村


スピリチュアルランキング

POSTED COMMENT

  1. aochan より:

    コメントご無沙汰しています。ブログは、拝読しております。元気をいただいたり、考えさせられたり。ありがとうございます。
    私ごとですが、ここ1年の間に人間関係がリセットされたような感じが否めなくて、以前視てもらった知人のワークショップに参加し、視ていただきました。
    とはいえ、イトケンさんのブログより霊視できる人についての知識もいただいておりましたので、参考になれば、と言う感じで。
    開口1番、いい傾向ではということだったのですが、私の「人」に対する先入観からくる否定的な見方・考え方を指摘され、アドバイスいただき感謝して帰途しました。
    こちらで「カルマ」をみて、前世での原因もあるのかもと思いを巡らしていたところです。
    イトケンさんにお尋ねしたいのは、視ていただいた際に、
    「今、仕事の運勢(運気?)があまりよくないから、開拓するなら1年半以降かな・・」と言われたのですが
    その運勢とは、生まれついたバイオリズム的なものを言うのでしょうか。それとも、引き寄せ的なものを指すのでしょうか。
    バイオリズム的なものであれば、諦めが付きますし、考え方であれば、(今、人間関係において少々ネガティブに感じておりますので、それが反映されている?)考え方次第で希望が持てるかなと思いまして、もしもお時間いただければ、お教えいただけましたら幸いです。
    よろしくお願いいたします。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください