子供が出来ない・子宝に恵まれないといった不妊という問題ですが、霊的に必ず意味のあるものであり、ママやパパが悪いわけではなく様々なことが絡み、現代の医学では証明できない未知な部分を含み、霊的なことなどが関係するということを説明していきます。
不妊ってママもパパも悪くない
この記事を書くにあたり、不妊に悩む人に対して慰めるために書いているものではありませんので、参考にならない人もいるかもしれません。
これから書くことは現実であり、不妊に苦しむ人たちに視野を広げてもらうための参考になればと思い記していくものです。
それでは、不妊はママもパパも悪くないという現実を説明していきます。
話がいきなり飛びますが、時期的に詳しくはわかりませんが江戸時代ごろから始まった「口減らし」という子殺しや間引き(赤ちゃんを殺すこと)・子供を遠方に捨てたり身売りしたりと生活のためとはいえ、このようなことが全国的に行なわれていた時代もありました。
飢餓に苦しみ生きるためとはいえ、このようなことが一般的に行なわれていたことは霊的にみましても許し難い行ないであって、後世に因縁となって現れることは免れないのです。
私たちは生きるなかで、現代や現在のことしか意識することが出来ないのは当然の話にはなりますが、霊的に輪廻転生といって何度も生まれ直す過程で、この因果を受け精算しないといけない境遇が与えられるわけです。
人によっては、そんなこと親や先祖が勝手にやったことと思うかもしれませんが、もしかすると前世で自分が親の代でやってしまったかもしれないし、いまの自分の一族の存続が口減らしや間引きによって成り立っている可能性があることを理解される必要があるかもしれないということです。
こうした悲しい時代を越えて現在があるということを受け止めて、決していまの境遇が自分や夫婦だけの不幸と捉えていただきたくないのです。
次に、我が国の社会性に起因する要素が少なからず関係しているという現実があります。
これから書くことは別の記事に書くことも検討していますが、近年の自然災害が大きくなってきていることは環境汚染などの様々な影響もありますが、災害によって多くの人が亡くなるということは、人間の心の在り方や思考などにも起因するという問題が出て来ていることは否めない状況にきています。
そのことが、これから母胎に宿ろうとする魂が望まない可能性があるのです。
元来、日本人は勤勉で愛情の深い人種だったように思いますが、現代ともなると我欲にまみれていたり利己的な人が増えたことは社会全体を歪めてきている現状です。
誰がこれからの我が国が思いやりのある心豊かな国になると確信できるのでしょう?
そのような境遇が待っている国だけではなく、親に愛情をたくさん受けて心豊かに育っても、一歩社会(学校も職場も家庭に出ればという意味)に出れば、イジメに犯罪に理不尽な世の中に対応することも、場合によっては自分に非がなくても命を奪われかねない社会に、子供として親に喜びを与えられるのかも不安な社会なわけです。
世界をみれば貧しい国や独裁国家など様々な国があり、これらの国と比較してしまうと疑問が湧くかもしれません。
しかし日本は仏教の国であり、国民特有の真面目で心豊かな人種という本来の姿を取り戻すまでは、悪しき神による自然災害など国土や国民の再編に向けた動きが活発化していることも現実としてあるのです。
このようなことが少子化という形で、不妊が増えている現状だと捉えるべき事です。
どうしても子供を産まないといけないの?
前項の続きみたいになりますが、子供を産んだり育てることが女性の幸せのように思われてきたことは現実ですが、時代というものは流れ一昔前の当たり前が現代ではナンセンスなことなど普通によくあることです。
たとえば、ちょんまげで刀をさした武士のような姿で歩けば仮装しているようにしか見えず、特攻隊の如くお国のために死ねる人がいるのかというと疑問ですし、男尊女卑といわれた時代が男女平等みたいになり、お見合い結婚が減少し婚活サイトが出来たり、その時代時代によって変化は著しいものです。
なぜ出産や育児だけ概念が変わらないのでしょうか?
いま子供を育てても親を殺したり見捨てるようなものが増えていたりということもありますが、それよりももっと子供の将来を考えてあげて欲しい気もします。
たしかに結婚=出産・育児な感じはありますが、通常一般的に考えると子供より親が先に旅立つものです。
そのなかで社会を見れば税金、税金という時代で、高齢者が増えれば少子化に生まれた子供は負担が増えたり、国会議員という人たちの歳費や利権のために高い税金を納め。。。
学校に通えば私たちの時代に数クラスあったものが1クラス2クラスになり、就職すれば同期入社が100人いたところが数十人になったりすることで、自分に合う友達も必然的に減ることにもなり、親が生きている間は何とかなれど親も100才まで生きる保証がないどころか、いつ死ぬかもわからない状況です。
このような悲観的なことをいってはいけませんが、子供に友達が出来なかったり孤独感を味わうようでは子育てをしてきた親からすれば寂しく心配するものです。
そのなかで通例になっていた結婚という婚期も微妙になり、国際結婚でもしなければ相手が見つからない状況になる可能性もある。
もしかすると政府が進めている外国人労働者の大量入国や移住に拍車がかかれば、友達も結婚も出産も希望が持てるかもしれないし、逆に日本人は犯罪の標的にされるかもしれない。
現在、中国の富裕層が国内の不動産や旅館・ホテルといったあらゆる所有権あるものを買い漁り(中国では不動産は国家所有か農民の共同所有なため)、ふたを開ければ日本人よりも中国人が日本の主要な土地を所有する時代が来るおそれもある。
こうした状況下で、自分たちのことだけを考えて子供を産んで育てることが本当によいことだろうかとも考えます。
不妊に対して医学が完璧ではない理由
結婚してからの期間や年齢などを考慮したときに、子供が出来ないと悩まれる人も少なくないと感じます。
子供が出来ないとなると、病院に行って不妊治療をしてでも子供が欲しいと願い、人によってはとても高額な費用がかかったり、薬害に苦しんだり、精神的に追い込まれる人も少なくないように感じます。
しかし何人もみてきましたが、子供ができないと言われていたママさんが、離婚したあとに再婚して子供が2人3人と出来たという話は普通に聞くような話です。
夫婦の子どもというワードに相性が悪くて生まれないと言うよりも、あまり陰に意識しすぎると出来ないことがあったり、実はご主人の方に問題があり生まれても奇形児などといったこともよくあるようです。
これにはママの試練というものが絡むことがあり、子どもを諦めることで試練という名の呪縛から解き放たれるといったことも霊的に現実にあります。
さいごに
恋愛、結婚、離婚、出産、死別といったものすべてが「縁」であり、不妊ということも苦しいことですが、結婚できない人もいれば結婚する気のない人、離婚する人、子宝に恵まれたのに幼くして他界しまう子供など様々な縁が織りなす世界が現世です。
子供が出来ないということも意味のあるもので、子を育てることが血のつながりがないといけないのか、子育ての道は色々とあることも現実です。
我欲といえば問題がありますが、なぜ子供を育てたいのかということに改めて考えて欲しいと願います。
今回書いたことは、政治的な批判をするつもりもなくイトケンが個人的な見解で思ったことを説明に入れたことをご理解下さい。
では、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>