子供関連

旅立ってしまった子供の状況について

愛する大切な子供が病気や事故などで旅立ってしまったときに、いまも痛み苦しんでいないのか・旅立ってしまったら再び自分の元に生まれて来てくれるのかなど、子供の死後の状況について基本的なことを説明させていただきます。

 

はじめに

愛する大切な子供が亡くなるということは、自分の命以上に大切な存在を失くしたことと同じ状況だと認識したうえで書いていきます。

 

これから書くことがすべてのお子様の旅立ちに該当するとは言い難いのですが、一般的なものとして解釈して下さい。

 

何事も稀であっても例外的なものはありますので、よほど身に覚えがないということであれば本文を参考にしていただいて問題ないと感じます。

 

なお、当ブログの記事で幾度となく説明していたことも、初めてお読みになる人のことを考慮し同じようなことを記していく部分がありますことをご了承下さい。

 

では、下記にて説明させていただきます。

 

旅立ったあとの痛みや苦しみについて

根本的なことになりますが、人間は肉体があるから痛みや苦しみを伴いますが、肉体から離れればこれらから解放されます。

 

もう一度お伝えします、、、死後は痛みも苦しみもありません。

 

しかし、大人になりますと意識の方が先行するために他界したあとも肉体の痛みを感じ続けたり、闘病中の苦しみから解放されにくいといった人も稀にでもいてるので子供とは違う部分があります。

 

なので、子供の場合は病気や事故などで痛み苦しんでいたとしても、旅立ってしまったら痛みや苦しみがなくなったことを認識するのが早いので心配されることは一切ありません。

 

それに子供の適応力の早さは想像以上だったりするのです。

 

なによりも痛みや苦しみを忘れて普段の自分に戻っているので、意外とケロッとした状態で遊んでいたり状況の把握が出来ていない様相というのでしょうか。。。

 

多くの親が見えないし感じることさえ出来ないようなのでお伝えしますが、お子様が元気を取り戻しママやパパの側にいたり、生前の元気だった時と同じような行動をしていたりするのが普通ともいえるでしょう。

 

旅立ったあとの姿は?

お子様が普段来ていた服やお気に入りのおもちゃを持っていたり、姿こそ見えなくとも生前のままということが多いものです。

 

生まれてから入退院を繰り返していて、パジャマ姿が多いようなときはパジャマを着ていることもありますが。。。

 

こうしたことも、ずっとパジャマ姿のままではなくそうしたものは一時期だけです。

 

亡くなる直前の苦しんでいる状態の姿ではないことを認識しないといけません。

 

なぜ旅立つ直前の姿ではないのか?というと、その意識から解放されているためであり、人の死後の姿は生前に印象の強かった姿が反映されやすいということにあります。

 

だからというと変ですが、人々の多くは寿命であっても病気を患って死んでいくのに痛みに喘いでいるような霊・病に苦しみ続けているような霊といった話を聞いたり見たりすることがないことからも理解できると思います。

 

そのうえ霊の多くが病衣や入院中の姿ばかりでないということも、こうした意識の変化によって普段の姿で見ることが多いのです。

 

もちろん、亡くなった直後であればパジャマや病衣も見受けることもありますが。。。

 

付け加えるならば、私たちがTPOで服を着替えるのと同じような感じです。

 

戦争で亡くなった人が兵隊さんの姿で出てくるのは、その意識の方が強い状態で亡くなったためにそうなるのであって、幸運にも生還して普通の生活を送っていれば軍服の姿にはならないのです。

 

ママやパパの想いは届いているもの

前項で少し触れましたが、子供が旅立ってしまったとしてもママやパパの想いや念といったものは間違いなく届いています。

 

それだけでなく、気配すら感じなくとも近くにいたり側に居たりするので親が悲しんでいる姿も当然のように見ています。

 

それどころか数年数十年経ったあとでも、親や家族のことを知っていたりするものです。

 

存在が見えないから気配を感じないから消えてなくなったのではなく、ただ波動や波長といったものが合わないだけなのです。

 

人間の五感というものがいくら優れていても動物の視覚や聴覚また嗅覚など敵わない部分があるように、人間の能力というものに限界があるのと同じようなものなのです。

 

よく誤解される人が多いですが、旅立ってしまったから関係性が変わると思われるかもしれませんが、旅立つとは肉体から離れるだけで魂は生きているので姿は見えなくても親子の関係は続いていることは忘れないで下さい。

 

だからこそ、旅立ったあとも話しかけてあげたり好きなものを供えてあげたりすると喜びますし、いつまでも自責の念に捉われなくて良いのです。

 

そのうち寿命が来れば再会できるのですから。。。

 

子供というのは本当に宝であり、生きてくれてても親自身の学びにもなり旅立っても親に大きな気付きを与えてくれる存在なのです。

 

親が寿命を迎えたときに子供と再会できるのか?

答えから申しますと、間違いなく再会できます。

 

再会できるだけでなく、霊(魂)の世界で再び家族として生活することが出来ます。

 

もし、どちらかの親に愛がなければ家族から離れる可能性はありますが、霊の世界は人間の世界のように低俗ではないので、離れたとしても気にされるような問題は何もありません。

 

その世界では肉体を伴わないので、当然ですが生老病死といった死という別れは皆無であり生きるため(肉体の維持)に仕事しなくてもよいので基本的にずっと一緒に居ることが出来ます。

 

親子のおたがいが一緒に居ることや生活に満たされたころでしょうか、人間という存在で地上にいたときのことを走馬灯のように思い出し、霊として安寧な境遇が現実なものと認識しだしたころに再び地上に降りて学びたいと思い始め、霊の世界での高みを目指すために転生したいと思うようになります。

 

簡単に書いていますが、こうしたことが輪廻転生をする目的になっていくのです。

 

私たちは何不自由なく満たされた時を過ごしていると、それはそれで飽きてきたり変化を求めるように、やはり転生したいとなってくることが大半のようです。

 

霊の世界での高みや低次元にいたものは、別の理由が伴いますがこの項では割愛します。

 

さいごに

愛するお子様が旅立ってしまったときに、少しでも死後の現実を知っていただきたく重複する部分もあると思いますが記事にすることにしました。

 

スピリチュアルの情報も様々なものがあり、不安を煽られて変な解釈をされないためにも参考になれば幸いに思います。

 

 

それでは、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>

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