私たちが輪廻転生を繰り返すのには意味があって、勝手に湧いたように生まれてくるのではなく、すべての人が覚えていなくとも過去世からの課題に直面し何回も躓(つまず)きながら、その課題を乗り越えようと転生を繰り返すのです。
はじめに
過去世からの課題についてお伝えしようと思いましたのは、日々過ごしていくなかで業(カルマ)や因縁というものが『潜在意識』にあり、そうしたものを知ることは生きるうえでとても大切なことだと悟ったことにあります。
ここでは、輪廻転生して生まれて来ることや自分の置かれた境遇には必ず大きな意味があるということを知って欲しいのです。
その過去世からの課題に沿って貧富の境遇が関係したり、対人関係に問題が生じたりといったことに繋がっていきます。
では、下記にて説明を始めていきます。
過去世の課題とは
私たちが輪廻転生する目的は霊的な成長を目指すところにあるのですが、人間という肉体を纏(まと)える期間の寿命もよく生きて百年余りというように短いのは本来は霊(魂)が主体であるわけです。
このような霊的な成長といっても、肉体がすべてと思いがちな人間にとっては疑問でしかないと思いますので、霊的な成長云々については省略させていただき過去世の課題について触れていきます。
過去世の課題というものを含め、多くの魂(人間)が生まれて死ぬまでの所業を肉体が朽ちて(死んで)から走馬灯のように思い出し振り返ることになり、いわば各々が生きた一生のドラマを見るような形になります。
ここで少し逸れますが、肉体を纏っていた人間が死んで霊になると生前に必要だったものと霊(魂)になれば不要な(重要視しなくてもよかった)ものが明確になります。
つまり、肉体から離れ時間が経つごとに何が大切で何が無駄だったかを霊の世界に帰ったときに個人差はあれど否が応でも悟ることになるのです。
それが肉体に必要な物質的なものではなく、心や精神など内面的なものが重要だったと気付きます。
成仏や天国といわれる安寧で満たされた世界に身を置いて(個人差はあれど、およそ数十年~数百年)いるにもかかわらず、やがて多くの魂が低俗な地上へ降りて再びやり直したいと思い始めるのです。
それは前述しました、何のために生まれたかを明確に知ることにあります。
霊は眠ることも時間軸もないので、安寧で満たされ続けていると地上での人生の失敗や行ないなどが気になりそう思うように自然となっていきます。
もちろん、中には地上に戻りたくないというものもいるでしょうが、格が上の存在に促され何れ転生することになります。
だいたい多いのが前世も前々世も同じような課題に躓(つまず)いてしまっていたりするので、スタート地点(生まれる境遇)もそれに則した家庭環境を目指すことになります。
これが過去世での課題ということについて転生する初歩的な話で、次からどのようなものが過去世からの課題なのかを説明していきます。
不運や不遇も過去世が関係している
同僚と同じような能力なのに同僚は出世し自分への評価は思わしくなかったり、一生懸命勉強したのに希望の学校に入れなかったりするようなことも過去世からの課題が影響していることがあります。
性格も良くないのに人間関係に恵まれる人がいれば、真面目で誠実なのに孤独な人がいるように何が良いのか分からなくなると思います。
こうした流れの差も過去世からのものが影響を与えていたりするのです。
生きるうえで自分の人生を恨むほど平等と思えないことも、本当は自分が過去世で行なってきたことが報いとしてきているだけで、何もおかしなことでも不平等でもないのです。
このようなことも大したことないと流すことが出来る人は課題にはまっていないでしょうが、悩み苦しむ人などは該当するかもしれません。
普通に考えてわかりますように、人は生まれてきた時から家庭環境に優劣の差があり、そうしたものが生涯に影響することも往々にしてあります。
私も不遇な環境から始まっていますが、それは現在の方向性として糧にもなっているので良しとしていますが、やはり根深い課題を他にも持ち合わせていると感じます。
私のことはさておき、この不運や不遇というのも乗り越えるためにあったり、視点を変えるためのタイミングであったり、何らかの巡り会わせが関係していることがあります。
その人の過去世の課題に見合った境遇に身を置くこととなり、それが劣悪な環境であったり人生の道半ばで荒波が寄せてくることも環境や時期は各々によって違いますが、必ず人生のなかで起こります。
それを乗り越えていかねば、来世でも同じような課題を希望して転生するので、生きるうえで何が大切なものか本来重視すべきことは何なのかを知っていただきたいのです。
じゃあ、そうしたものを受け止めて乗り越えたり清浄に生きていくことができれば、今度は少しでも幸せになれるかということになりますが、各々の価値観や感じ方にもよりますが当然そうなっていくことになります。
家庭環境も貧富の差も人間関係もすべては、過去世のからの課題に則してそうなっているので、自分が受け止めて変わっていけば来世といわずとも今世も有意義に生きていけるようになる余地はあるわけです。
念押ししますが、この世が全てではなく霊の世界が現実世界であって、ステータスもお金や物質的なものすべてが一時的なもので、真に大切なものは心であり精神なのです。
それを理解して生きることが、寿命までいかずとも気付いた時点から幸福感や流れは変わっていくものです。
恵まれた境遇でも残念な人は多いもの
残念とは霊的な視点であって、人間社会では羨ましがられる人々かもしれません。
前述しましたが、その人に見合った境遇を過ごすことになるので恵まれたものになることも普通にあります。
要は、人間社会でいう裕福や恵まれた境遇というのは、霊的にみればあまり重要なものではないからです。
誰もが余程の悪行や未練や執着などがなければ、いずれ何十年何百年といいますか霊の世界に帰れば普通に身を置くことが出来る境遇だからです。
もちろん、霊の世界に戻れば階層ごとに優劣もなく地位も平等、悪しき考えのものは居心地が悪くて同類の所へ行くので平和そのものです。
人間の多くは目に見えるものや感じるものしか信じないために、わずか100年程度の一時的な優劣に敏感になってしまうのです。
これもその人の過去世の課題に則したものなので、今世で過ごす地上での幸福などの優劣は気にされない方が賢明かと思います。
それよりも有名になって過去世と同じ過ちを繰り返してしまう人、多くの国民の支持を得たり高い地位に驕り高ぶって勘違いしてしまう人などは残念の代表格といえるでしょう。
こうしたことはスピリチュアルの世界でも顕著に出るもので、昔は良かったのに人気が出ると変わったねと思われるような人なども過去世の課題を踏み外してしまっているのです。
それだけではありません。。。
自分が恵まれた環境や人並みといわれるような環境で育ったために人を見下したり非難したりするのも、過去世からの課題を放棄してしまっているのです。
近年は、あまりにも心ない人が増えたことに憐れむばかりなので特にそう思います。
まだ救いようのある人は同じような境遇から転生できるのですが、酷い場合は次に転生した(生まれかわった)ときに身体や精神に重度の異常をきたしてしまう恐れだってあるのです。
もちろん業(カルマ)は自分が作らなければ返ってこないので、気が付いた時点で改心するが望ましいのです。
このようなことを個人の見解だと思う人もいるかもしれませんが、霊的にみれば何も変わったことを言っているわけではないのです。
死んでから良いことも悪いことも走馬灯のように浮かび上がり、自分の所業で相手がどう苦しんだのかも強く感じ、最悪はそうした人の念と繋がってしまうことだってあるわけです。
人並みな境遇や環境に身を置くことは十分良い部分であるのに、わざわざ悪しき業(カルマ)を作らなければ良いのにと思います。
周りの環境に影響されて流されるようですが、こうしたことも過去世の課題に躓いているのか新たな悪しき業(カルマ)を積み上げているのかということを知った方が良いのです。
さいごに
私たちの大半は輪廻転生といわれるように何回か生まれ直して来ていて、良いことも悪いことも苦しいことも悲しいことも上手くいかないことも理由があってそうなっていることを認識して頂きたいものです。
いまの境遇が良くない・生きていても仕方ない・先々が不安でしかない・失うものが大きすぎて生きていられない・不運で不遇だ・死にたいなど色々あると思いますが、過去世から引き継ぐものが影響しているということを忘れてはならないのです。
逆に、天狗になったり・傲慢になったり・欺いたり・必要以上に金儲けに走ったり・人を傷付けたりしているようならば立ち止まって振り返って考えてみて下さい。
「火のないところに煙は立たない」ように、すべての人の境遇には身に覚えがなくとも必ず自分の残した足跡があることを考えてみて下さい。
それでは、この辺で終わります。
最後までお読みいただきして、ありがとうございました。<(_ _)>