愛する子供や親など大切な家族の遺骨を手元に置いておきたいと願う人も少なくないと思いますが、本当に遺骨を手元に置いておくことに問題があるのか、慣習に従い納骨することが最善なのかについて説明していきます。
これから書くことは、お寺や宗教関係者を否定するものではありません。
何よりも優先したいことは遺族が少しでも心安らぐことであり、仏教という素晴らしい教えを大切にしながらも真実を知っていただきたい想いで説明に入らせていただきます。
本当に遺骨は早めに納骨した方が良いのか否かというと、納骨は気が済むまで手元に置いてからでも問題はありません。
お墓に納骨しようが、手元に置いて供養しようが成仏に一切関係はありません。
火葬場側で余った遺骨を砕いて灰にして処分することがあったり、焼き切り依頼をして灰にしてしまう人などもいるように遺骨が成仏に関係していることはないのです。
遺骨というものは故人にとっては衣服のようなもので、霊能者などが目にする生前のような姿を維持していることからも解釈できるものです。
現に私が霊媒に憑依した霊的なものたちが元気におられることも事実として幾度も経験していますし、こんなこと確信がなければ書けるものではないことは御理解いただけると思います。
なお、納骨期限は自由に決めれますので数年後でも数十年後でも法的にも問題はなく、葬祭に関わるものが慣習的なことを言ったとしても一切気にしなくても大丈夫です。
当ブログが感じることは、遺骨を手元に置いておくと成仏の妨げや故人の骨は土に返してあげることが最善であるというお寺や宗教関係者などの説明の根拠に始まります。
こうしたことは、お寺や宗教関係者が仏教の教えから学んだことを遺族や檀家に伝えているに過ぎないわけですから、故人の霊に対する現実的な経験ではないところからきています。
お寺の住職や僧侶といっても霊的な能力に長けている人は現実として少なく、一般の人と何ら変わりないのは周知のことと思います。
こうした能力は、信心や修行をしたからといって霊能力が飛躍的に開花するような僧侶は稀であるといって過言ではなく、終生において霊能力のないままの普通のお坊さんで終わるものです。
つまりは、仏教の教えをもっともらしく言っているだけということになります。
ではなぜ、お墓と納骨について慣習化されているのか。。。?
それは、仏教の教えというものが純然たる状態で現代に引き継がれていれば異論をとなえる必要もないわけですが、残念ながら仏教の長い歴史の中で政治的な介入があったために教えが変わってしまっている部分があるためです。
今回、お伝えしたことは寺院保護の観点をお調べいただき、檀家制度の始まりなどから紐解いていけば、さらにご理解いただけると感じます。
今回は、霊的な観点からの「遺骨を手元に置いておく」ことについての説明でした。
それでは、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>
ゆっち 様
そう仰っていただけて、とても嬉しく励みになります。
こちらこそ、ありがとうございます。
更新が増えるのはとても嬉しいです。ここにくるのが心の安らぎにもなってます。いつもありがとうございます。