供養と成仏

先祖の因縁について

先祖に悪い因縁があると成仏に影響するのか、また先祖の因縁による子孫への影響の可否などについても説明していこうと思います。

 

はじめに

最近よく耳にすることが多くなった霊感商法に絡む先祖の因縁について、こうした因縁自体が本当にあるのかといえばあります。

しかし、根本的にちがうのは解釈です。

この解釈が歪められて説明されてしまうために、大金を搾取されたり高額な物品を買わされたりするのです。

つまり物質というお金に価値があるのは人間の社会限定のもので、霊(死後)の世界においてお金は「無」に等しいものなので、物質的なもの全てが対価や代償に置き換えることが出来ません。

 

この因縁とは、どういうものかというと「原因・動機づけ・機会」らしく因果と似ていますが、もっとわかりやすくいうと人間同士の繋がりから起こることが多いものです。

もちろん因縁といっても悪いものばかりではなく、善い行ないから起こる因縁もあります。

では、この先祖の因縁について掘り下げて説明していきます。

 

悪因縁があると先祖は成仏出来ないのか?

先祖の悪しき業(行ないや所作)によって出来た悪因縁は必ず成仏出来ないかといえば答えはノーです。

日本の戦国時代や戦争に関与したり、人を殺めたり苦しめたすべてが成仏出来ていない訳でもなく、度合いや状況また動機や相対するものの受け取り方など様々なことが関係するからです。

もちろん、悪意をもったものや冷酷非情なものが死後にも反省や改心すらしない状況であれば成仏といった境涯で過ごす事が出来なくなる(孤立する)ので、同じようなもの(同類)が蠢く世界に身を置くことになります。

もしも、現在においても先祖に悪因縁がある状態だとすれば、その業は本人が解決するしか手立てはないといっても過言ではありません。

 

先祖の因縁を子孫が収めることについて

たとえば人間社会において、人を殺したり苦しめた当事者の家族や親族が謝罪したところで被害者から許しを乞うことが出来るか否かは考えれば簡単なことではないのは分かることと思います。

それが先祖が作った因縁に対して、そのときの状況も事情も分からないまま謝罪したところで難易度が上がるわけです。

前述しましたが、大金を積んだり壺のような高価な物を買って許してもらおうというほうが虫が良すぎるのです。

もし、ここに先祖の悪しき行ない(因縁)が分かる霊能力を持ったものがいたとして、その因縁の事情や相手が分かったとしましても、解決や処理する能力を持ち合わせているかといえば皆無に等しいといえるでしょうね。

こうしたことはチカラでねじ伏せるものでもないことも然り、法力で抑えようとしても仏様は御力をお貸し頂けない、残る手段としては因縁を作った先祖が心から反省や謝罪することや子孫が謝罪に尽くすことしかないのです。

もちろん、度を超した因縁を起こされたのならば対処のしようもありますが、それでも慎重にならざるを得ないことのほうが多いです。

仲裁に入る人がいたとしても因縁にまでなったものを昇華させることは至難の業であり、霊能力を持ち合わせていても人間如きが出来る範囲はしれています。

つまりは、先祖の過ちからできた因縁を子孫が先祖に代わって何をもっても収めることは困難を極めます。

 

先祖の因縁と子孫への災い

先祖の(悪)因縁が子孫に及ぶことはありますが、子孫は甘んじて先祖の業まで背負わないといけないかというと背負う必要はないのです。

しかし黙っていても災いが収まることはないので、気付いた時点で何らかの対処は必要になってきます。

ここで問題なるのが誰に頼めばよいのかですが、おすすめは祈祷寺です。

法力(仏教の修行によって得られた不思議な力、具体的に言えば仏様の御力を借りれる)をもった僧侶のいるお寺で祈祷をお願いすることが最善です。

ここで注意として阿闍梨などの僧位をもっているなら祈祷寺でなくても良いものではなく、しっかりと祈祷を専門に行なわれているお寺や僧侶・行者でなくてはなりません。

個人的な見解として書きますが、近年において僧侶の多くは法力を持ち合わせていないものが多く、仏道に沿った生き方をしていないものは僧侶というよりも職業坊主でしかないのです。

間違っても大きな宗教団体であれ有名な霊能者であれ法力が使えるものは皆無に等しいので頼ることは最善とは言い難く、軽い能力行使しかできないか依頼者の意識が変わっただけ(思い込み)であることのほうが一般的であろうと考えます。

 

さいごに

今回、当ブログがお伝えしたかったのは先祖の因縁は全財産を差し出そうが、何らか高額なモノを購入しようが因縁は収まることはないということです。

もうひとつは、先祖の因縁を子孫が被ることもありますが、それも先祖の因縁なのか自分の因縁や因果なのか判断を慎重にしないといけないことです。

先祖自身が起こした業は先祖が責任をもって解決や昇華しないといけないもので、子供や子孫が成り代わって解決できるものではないということ。

誰に関わらず自分の行ないによる因縁や業は自身で摘み取るほかにはなく、苦しくても成仏できなくても甘んじて受けるほかにはないということをお伝えさせていただきました。

 

それでは、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>

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