スピリチュアルの世界では神様に願い事を叶えてもらう方法などが人気ですが、どんな願い事でも聞いてくれる清濁併せ呑む神について説明していきます。
一般的には、神様に願い事をしても、リスクはないと言われています。
その理由のひとつに、神様が善なる存在であるということです。
それゆえに、人の運命に悪い影響を与えない御利益というものがあります。
しかし。。。どんな願いでも聞き届けてくれて、叶えてくれやすい神様もおられ、その場合かならずといっていいほど代償を伴うことを知っておいた方がよさそうです。
清濁併せ呑む神とは
神様といえば善なる存在というのが一般的ですが、この世は善あらば悪ありといったことが神様の世界にもあります。
悪の神といえば、魔神(まじん)とか悪神といわれる存在で、人々に災いや害を与えたり世の中を乱す神様のことをいいます。
様々な神様のなかには、清濁併せ呑む神といって善と悪の両方を兼ね備えた神様がおられ、わかりやすくいえば型破りな存在としてあらせられています。
このような神様は、人間の世界にも魔の世界にも通じていることが一般的ともいえましょう。
そういった神様は、善悪の区別をせず、どんなものでも受け入れることから、願い事も神社でするような一辺倒な願い事でなくとも構わないわけです。
男らしく破天荒な存在みたいですが、実は一歩間違えると恐ろしい面をお持ちです。
祈願成就の闇(祈願の注意)
一般的な神様というのは、人々の願いを叶えることを通して、その人に何らかの気付きや意味のあるものにと、先見の明のもとに御利益(祈願成就)を授けてくれるのです。
そして、開運や御利益に対して神様に「物乞い」をすることが、信仰や参拝の本来の姿ではないといえます。
タダに近い状態で、手を合わせて願いを叶えてもらおうとする考えは、虫が良すぎるというものです。
これが、一般的な神様といわれる存在に対して、祈願の在り方なわけです。
ところが、清濁併せ呑む神様はどうでしょう。。。
先に説明した通り、善と悪が混在した神様ということになり、そういった神様に付く眷属は魔や邪神のような存在で、決して聖なる存在とはいえません。
たとえば。。。
聖天様は願いをよく叶えてくれる天部尊(仏教の護法善神)として有名ですが、その眷属は常随魔(じょうずいま=別名ビナヤキャ)といって、常に人々について回ることから、そう呼ばれています。
この常随魔ですが、紛れもなく『魔』という存在です。
ご存知のない人もいると思うので説明しますと、願い事をして神様が叶えてくれるとばかり思っているかも知れませんが、眷属が表に立って対応することもあるのです。
眷属は悪いことも良いことも聞き届けて下さいますが、その代わり必ず『対価を要求』してきます。
少し参考に一例として。。。
◎家族の命を助けて欲しいと願い叶えば、命を助ける代わりに介護で大変な思いをしたり、自分の身体が病気になる。
◎宝くじなど大金が入るようにと願い叶えば、代わりに大切なものや人を失くしたり、将来自己破産する。
◎好きな人と結ばれることを願い叶えば、何らかの不幸を与える。
といった感じで、願いごとを眷属が叶えてくれて結果的に対価を取られます。
こうしたことを、聖天様は止めてくれないのか?ということになりますが、魔を動かせたのは祈願者の心であるから、聖天様は眷属の好きなようにさせます。
日本でも有名な聖天様を祀っているお寺には、多額の寄付(奉納金)をされる人が多いですが、これは事業などが成功するように祈願して叶った御礼に対価を納めているのと同じ意味があるわけです。
まだ聖天様はお優しい存在ですから、清浄な心をもって祈願すれば怖がることもありませんが、『清濁併せ呑む神様』は格段に闇をお持ちということになります。
魔や悪の世界に通ずる神様ですから、関わることでマイナスの影響を受け取ることが往々にしてあります。
一般的な神社に行って悪い気を祓ってもらって、良い気でスッキリとは真逆というのでしょうか、魔や邪が憑りつきやすくもなる可能性も無きにしも非ずです。
一説によりますと、魔や悪の世界と通ずる神様の気を纏うと、仲間だと思って何もしてこない(寄って来ない)ということがありますが、その気を纏えば何が真実かわかります。
ただし、そのような神様に相手にされなければ何も影響はありません。
遠回りな説明になりましたが、清濁併せ吞む神様に祈願するということは、魔や邪神ともつながりやすくなるということです。
そのような存在とつながったら鬼に金棒ではなく、単に悪い流れを背負うことにもなります。
人の呪いも聞き届けてくれますが、『人を呪わば穴二つ』といわれるように、呪いの祈願した人にも同等の報いを対価として取られます。
要するに。。。ハイリスク・ハイリターンは何事も同じということです。
願いが叶うからといって、安易に祈願しに行くのではなく、こうしたリスクを肝に銘じて行かないと大変なことになります。
さいごに
祈願が叶いやすい『清濁併せ吞む神様』について、少し説明をさせていただきました。
御利益祈願もよいですが、もっと社会の動向に対して情報弱者になるのではなく、真実を捉えて、いま何が大切なのか足元を見るほうが賢明だと思います。
如何なる神様に祈願しようとも、消費増税・犯罪多発・食料自給率危機など、現実社会の山積みな問題は悪化な一途を辿っているのです。
神様がおられても、楽して幸せは手に入らないということです。
それでは、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>