神仏に関すること

霊は姿を変えることが多い

あまり知られていないようなので書きますが、神仏や悪霊姿を変えて出てくることは普通にあり、霊的な存在そのものの姿だけを見て鵜呑みにすることは、とても危険でもあります。

 

はじめに

スピリチュアルな情報の違和感の一つに、霊的なものが姿を変えて出てくることが頻繁に書かれていないことにあります。

 

これって、神仏や悪霊などと関わっていると、日常的に普通のことなんですけど。。

 

ただし、どのような姿で出てくるかについては、真似て書く人が多い世界なので、御神仏系の具体的な表現は控えさせていただきます。

 

なぜ神仏が姿を変えて出てくるのか?

簡単に言えば、姿やステータス(名称)は、どうでもいいことであるためです。

 

人間は地位や名誉また物質的な価値を重視しますが、霊の世界において、これらは無用の長物というものです。

 

無用の長物。。かえって邪魔になるもの、弊害となるもの。

 

つまり、そのへんのおっちゃんが言うことと、天皇陛下の言うことだと、どちらを信じるかぐらいの先入観が判断を誤ることにあります。

 

天皇陛下の姿を見ただけで、ものを言う前から軍配は決まっていますよね。

 

さらに、水戸黄門も印籠を出さなければ、ただのお節介な爺さんで終わるかもしれないように、本質を見抜く目が必要なわけです。

 

奥の深い霊の世界で、如何に本物か姿だけで判断することが誤りの始まりであるため、御神仏はあえて姿を変えて出てきます。

 

先日のことですが、とある神様がお越しなられて、2回も違う姿に変化(へんげ)されたということがありました。

 

それほど、姿や格好はどうでもいいことの現れだったのでしょう。。

 

悪霊は然り故人の霊が仏の姿に変化していたことも。。

悪霊が神仏の姿に似せて出てくることは、よくあることです。

 

霊能者のなかには、この悪霊を神仏と思い込んでいる人も少なくありません。

 

なんの目的で悪霊が神仏に化けるのかというと、霊能者を介して多くの人の心を惑わせることにあります。

 

具体的に言いますと。。。

 

○安易な思考に変えて、正常な判断をできなくすること。

 

◎最大の目的は、神仏の御縁から遠ざけようとすることです。

 

神仏は清浄な心の人を好み・我欲のために他力本願する人に対し距離をおきます。

 

本当の穢れとは、心の状態を表すものであり、真摯に向き合ったとしても見透かされていることから、振り向かれることはありません。

 

理解できない人も多いと思いますが、神仏は魂の成長のためにおられるのです。

 

 

故人の霊が仏様の姿になって現れることがありますが、こうした霊は長い期間のなかで仏様の像や祠の中にいたようなものです。

 

では、この者たちが仏様になったのかというと、全くそんなことはありません。

 

数百年も自分の姿を見ることなく、仏様の姿を目の当たりにしているわけですから、意識の投影が仏像の姿となって現れるのです。

 

もちろん、そうした意識を打ち壊すと故人の姿に戻るのですが。。。

 

霊が見える人のなかには、そうした姿だけを信じて仏様だと見誤ることもあるでしょう。

 

さいごに

普通の故人の霊は別として、霊の世界は姿を変えて出てくることが多いものです。

 

特に、この領域に関わるものは、見極める感性がなければ負を追いかねません。

 

こうしたことを、何らか参考にしていただければ幸いに思います。

 

それでは、このへんで終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。m(_ _)m

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください