仏様との御縁を授かることについては、もっとシンプルなものではあるけど難しいことでありますが、その心をもって信心を行なえば何よりも繋がる近道となっていくことでしょう。
はじめに
よく聞く話に一生懸命に仏様と向き合っているのに、何も感じないし何かが変わったとも思えないというもの。
世間に広まっていることを実践しているのに、自分に問題があるのか修行が足りないのか。。。
現代において、すごく思うのは信心や信仰をしている人たちの心の在り方で、昔の人よりも足りていない部分かと思います。
頭でわかっているかもしれませんが、それらについて説明していきます。
これはブログの管理者であるイトケンが体感し、御縁を確信した経緯から書いています。
信仰や修行の成果
世の中には、たくさんお寺があるのに、仏様の御力を授かっていないと思われる僧侶がたくさんいます。
それは、修行など儀式的なことは完璧に熟すことが出来ても、仏道における心が足りていないからだと思っています。
生意気なことを申して恐縮ですが、これが現実としての結果です。
仏様に仕えて精進し勤行や修行していても、仏様との距離が近づかない。
仏様も修行僧よりも、一般の人に対してのほうが優しいとはいえ、やはり厳しいものです。
もちろん、一生懸命に信仰や修行して仏様との御縁を授かっている人もおられるでしょうが、数えられるほどでしょう。
では、どのような心が足りないか下記に続けます。
仏様と共通する菩提心
仏様との御縁を授かるのに近道というと変ですが、わかりやすくするために、このような表現にさせて頂いています。
形式的な説明をするつもりはありませんが、体感や経験に共通する部分が含まれるので織り交ぜて書き進めます。
仏教には「発菩提心」という言葉がありますが、これは仏道を歩もうとするものの出発点となるものです。
「発菩提心」「菩提心」とは。。簡単にいえば『利他の心』です。
これが、仏様との御縁を結ぶためには肝要なものになってきます。
仏教でいう自利利他
自利利他(じりりた)とは、自分が幸せになると同時に他人をも幸せにするという意味です。
仏教では、この自利利他が理想といわれますが、少し説明します。
すると。。「自分が幸せにならなければ、他人を幸せにすることができない」と解釈しがちですが、これは間違いです。
「他人の利益を優先することによって、その先で自分に良い報いを得る」が正解です。
仏教的な考えとは異なるかもしれませんが、だいたいこんな感じです。
利他の精神は菩薩の目指すもの
利他という他人の利益を優先するということは、菩薩様との共通項です。
それゆえに、仏様との繋がる近道になるわけです。
実際に、イトケンは利他を目標に生きていますが、たいした修行もしていません。
しかし年々、仏様の言葉や御力をお借りできるようになってきました。
人によっては、思い込みや勘違いと思われるでしょうが、別に自慢するものでもないので、信じなくても結構です。
ただ、如何に仏様より御縁を授けて頂けるか、仏様と道が繋がるかといったものの確信として、お伝えしているのです。
イトケンは過去世からの御縁というのもあるようですが、多くの信仰者に足りない部分が仏様との繋がりを遠くさせていると感じます。
さいごに
利他というのは、色々と難しいものがあると思います。
ストレスになることもあれば、マイナスの気をもらうことだってあります。
しかし、誰かの役に立つことが出来たならば、その誰かにも先祖や背後の霊がいて、彼らも感謝してくれるのです。
仏様の繋がりの話から逸れますが、利他を行なってもマイナスだけが残るというものではない、ということをお伝えしたく思います。
それでは、このへんで終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>