スピリチュアルの不思議の一つに霊能者は神仏と繋がりやすいといった風潮が見受けられますが、まったくそのようなことはなく一般の人と同じレベルということを説明していこうと思います。
はじめに
霊能者は神仏と繋がりやすい、というのは大きな間違いでしかありません。
固定観念や大衆心理とは怖いもので、そういった風潮が様々な誤解を生んでいくのです。
どこからそんな風になったのかわかりませんが、神仏も選ぶ権利というのがおありなんですよ。
それをこれから説明していきます。
霊能者と神仏の関係
霊能者というと、普通の人に見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたり、霊的なものと接触出来たりでしょうか。。
しかし、しかしですね。。霊能者といっても、その霊能力を除けば普通の人です。
ここに誤解が多いのですが、霊能力があるといっても人格者とは限らないのです。
ちなみに人格者とは、他者を思いやり優れた倫理観や道徳心をもち、(周囲から厚い信頼をされる)人のことをいいます。
最後の文言は、どうも現代にはマッチしないと個人的に感じますが。。。
霊能者といっても、他力本願がメインの人・鑑定やセミナーを有料でする人・天然石など物品売買する人など色々とおられます。
こうしたものに神仏云々を掛け合わせてお金儲けする人を、次元の高い清浄な存在が御近づきになられることはありません。
どうであれ、霊能者が商売として儲けているだけで、神仏が望まれる真理の伝授や人々の成長に寄与するものではないからです。
神仏が見るのは、そして御縁を授けてくれるのは、その人なりであって霊能力の有無は関係ないのです。
それこそ現代のスピリチュアルにおける、「絵に描いた餅」でひと儲けする手段に霊能者が乗っかっている構図でしょう。
神仏の本当の姿を知るものは謙虚である
神仏の本当の姿を知れば知るほど、謙虚にもなり公言しないようになります。
誰よりも神仏を尊んでいても、何が大切かを知っているからです。
人間はステータスや知名度などを重視しますが、そうした先入観が霊的な世界に対して見誤る元になることも知っています。
一般の霊能者が公に神仏との繋がりを誇示するのは、そうしないと人の注目を浴びることができなかったり特別視されないからでしょう。
本当は、こうした人たちのパフォーマンスを見抜かないと殻を抜けることはありません。
そして、神仏との御縁を授かった霊能者は。。
その能力が神仏より授けられたものと認識しているため、意に反した行ないを慎みます。
それゆえに、慢心することなく欲を張ることがないのです。
神仏と繋がる人に共通する言葉として多いのが。。
「神仏の御力を借りるものが、それでお金儲けをすると力を削がれる」と言う。
つまり。。神仏との御縁を授かったものは、自然と質素になり仏の教えに則した生き方になっていきます。
こうしたことは霊能力の有無に関係ないため、一般の人でも霊能者以上に神仏との繋がりをもつ人も多くおられるのです。
さいごに
今回は、霊能者であっても神仏と繋がったり御縁があるものではない、ということについて書いてみました。
世の中のスピリチュアルに翻弄されませんよう、良い情報を参考にお過ごし下さい。
それでは、このへんで終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>