スピリチュアルや仏教で遺骨を自宅に置いておくと霊や魔が憑いて不運や体調不良に襲われることになると言われていますが、遺骨に霊や魔が憑くことの是非について説明させていただきます。
はじめに
当ブログは、死に関してあまりにもお金がかかり過ぎることについて違和感しかもっていません。
なぜならば日本人は死んでもお金がかかるという、訳の分からない慣習や一部の霊能者の発信していることが現実的でなく万人のためにはなっていないからです。
現代は、とある政権が実権を握って30年余り人々の暮らしは悪くなるばかりで、貧富の差が開き貧困と言われる世帯も増え続けています。
そんななかで何かを切り詰めたいと思うのは当然のことで、今回は根拠のない遺骨にまつわる災いについて掘り下げていこうと思います。
遺骨とは魂の抜け殻でしかない
故人の遺骨を大切に思っている人には大変申し訳ありませんが、現実を伝えないといけないので敢えて書かせていただきます。
私たちは生きていると肉体も魂も一対なのですが、死ぬと肉体と魂に分かれます。
死とは肉体がなくなる(離れる)だけで魂は永遠に生き続け転生を繰り返しています。
つまり肉体は魂にとって衣服みたいなもので、次の世ではまた違う衣服を着て寿命が来たら脱ぎ捨ての繰り返しのようなものです。
ほとんどの場合は、脱ぎ捨てた衣服に未練や執着はもちません。
なぜならば、魂だけになった姿でも生前の様相は具えているからです。
般若心経にもありますが、物質的なものは『不』や『空』といった教えが正しいのです。
遺骨に霊や魔が憑くことはない根拠として
日本は原爆や大空襲などによって民間人が50万人以上亡くなったといわれていますが、行方不明になった遺骨は莫大な数あり、原爆では遺骨も残らない人も多くあったと聞きます。
数年前にはJR大阪駅の線路の下に大量の遺骨(1500体以上)が発見され、江戸から明治時代のお墓があった場所だと言われているが、陰の気はあれど祟りや際立った災いはなかった模様。
キリシタンなどは、処刑されたときに首と胴体は別々に埋葬されているという現実。
インドでは死体をガンジス川に流すということもあります。
何が言いたいのかといえば、これまでの長い歴史の中で身元不明の遺骨・発見されていない遺骨・埋まったままの遺骨など数知れないわけで、もしかすると地中に知らない人の遺骨があるかもしれません。
遺骨を自宅に置くことと墓に納骨することの違いは、宗教では骨の保管場所兼参拝場所であり法事で僧侶がお経を唱えるぐらいの違いで大したことありません。
もし、仏教や霊能者が霊や魔が憑くというのならば、上記にあげた場所には霊や魔が憑りついて近くに居住する人は全員繁栄するどころか体調がおかしくなっていくのでしょうか?
そんなこともないわけで、たまたま遺骨の責任にしているに過ぎないことになります。
だいたい遺骨に何か憑りつく可能性があるとすれば、遺骨を自宅に置いている人の念が霊を呼びよせるのだろうと感じます。
決して遺骨に魔が憑くことはなく、魔は人間が考えている以上に能力は未浄化霊の比ではありません。
除霊が出来る一般的な霊能者でも、完全に魔を祓うことはできないでしょう。
さいごに
少し質問があったので、遺骨について書かせていただきました。
私たちが故人を大切に想うことは大変良いことですが、如何なることも未練や執着に区切りをつけることも必要で人間としての修行でもあるのです。
それでは、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>