死後の世界

死亡事故を起こした人は死後の世界で苦しむことになる

先日、渋谷で高齢者の暴走による死亡事故が起きてしまいました。事故を起こしてしまったことに大きな後悔をしておられると思います。しかし、どのような形であっても死亡事故を起こし、今世で法的処分や賠償金が莫大になるばかりだけでなく、死後は相当に苦しむことになってしまうことについて説明したいと思います。

 

 

死亡事故はどのような形でも苦しむ

 

このような事故をニュースでみるたびに、当事者でなくとも心が痛くなると思います。

 

心身喪失状態でありましても高齢者でありましても事故を起こしてしまえば、どうして苦しむのかを、これから書いていきます。

 

死後の世界というのは、だれもがその行ないを映画のように回想(過ぎ去ったことをあれこれ思い出すこと)させられることになるのです。このときは何をいいわけしても、その良い行ないも悪い行ないも直視させられて逃げれなくなります。

 

おそらく毎日のように事故の回想が起きると思います。

 

そして、だれもが自分の行為を反省する状況になっていきます。霊界での裁きというより、悪い行ないを後悔することが、生きてた時の何倍も増幅される形になります。

 

今回のこと(渋谷で高齢者暴走死亡事故)でいえば、どんな状況であっても人を2人も殺してしまっていますので、今世で苦しみに耐えるのは当然ですが、死後は今世の何倍にも増幅された思念が何十年何百年も付きまとうことになっていきます。

 

いままで他の記事でも死後の世界のことでも書いていますが、死後は人間のように肉体がないために器官も作用しませんので、ひとときも寝ることも必要ないために24時間ずっと人を殺してしまったという意識は消えなくなります。

 

まだ生存中に人から非難されている方が、よほどマシということになります。なぜならば、食事をしたり風呂に入ったりして少し気持ちが逃げれたり、寝ることによって睡眠中は忘れることができるからです。

 

このようなことから、間違いなく苦しみを味わうことになるのです。

 

 

地位や名誉は死後は意味がない

 

人間界で申しますと、地位や名誉や資産が何にもまして優位なようですが、それは地上界にいてるわずかな期間の優劣の指標みたいなものであって、死後の世界でこれらは意味がなく死ねば終わりのものばかりです。

 

今世でなんらか救われても、死後は平等に裁かれてしまいます。

 

これから誰もが迎える死後の世界が現実界というのを理解していないだけのことです。

 

今回の事故を起こされた高齢者の方は、相当なエリートだとニュースで拝見しましたが、まさしくこれに当てはまる事案ではないかと思います。

 

いくら地位や名誉がありましても、霊の世界では何の忖度も配慮もありません。

 

死後に持って行けるのは、知識と行ないの結果だけになってしまいます。

 

 

死後は意識もはっきりする

 

いくら高齢であっても心神喪失状態であっても、それは地上界にいるときであって死後に霊となれば意識ははっきりしてしまうので、きつくなる所以(ゆえん)です。

 

いままで書いてきたことでお分かりになられると思うのですが、意識がはっきりした状態で回想され事故の状況を見るのですから、それは苦しいことになってしまいます。

 

当然ですが、成仏どころではなくなってしまいます。いくら親族が手厚い供養や僧侶を読んで念仏をあげましても、簡単なものではありません。

 

このようになってしまいますので、高齢になれば早く免許を返納して公共交通手段を使うことが、死後にも救われることになるのです。高齢で判断能力がとか車両に異常がとか霊の世界ではいっさい言い訳がきかないことを知って頂きたいと思います。

 

 

さいごに

 

亡くなられた女の子と、その母親のご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>