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本当の幸せとは何か?

あなたは本当の幸せについて聞かれると、とお答えしますか?人によってはお金や趣味や家族などと答えるのでしょうか。しかし本当の幸せ多くの人が気付いていないようです。これから生きていくなかで本当の幸せを知ることは、とても大切なことだと思いますので、これから説明させていただきます。

 

本当の幸せとは・・・

 

まず、このサイトがスピリチュアルなことを書いているので仏教のように「無である」ということを答えに導くと思われるかもしれないですが、残念ながら違いますので続けます。

たしかに「無」というのは、「心が無」の境地にあるということはすべての煩悩から解放された状態なので、幸せであるというのは間違いないことです。

しかし、この世の中で「無」を続けることなんて不可能に近いように感じます。

 

ところで、あなたは「本当の幸せ」とは何かと聞かれますと即答できますでしょうか?

お金・高級車・家・宝石・衣服などの物質的なもので幸せを感じるのか、家族や友人などの人間関係が円滑で平穏なことなのか、旅行や好きな趣味に関わっていることなどと答えるように思いますが、それらが本当の幸せとは言い難いものです。

これらは自己の感覚が満足しているときや人と比較して幸せと思っているだけなのです。

このようなことを書きますと、何が分かるねんなどと言われそうですが読み続けて下さい。

 

本当の幸せとは何か・・・。

それは目の前にあるもので気付かないだけのものです。

これまで書いてきたことから置き換えますと、原始人や各民族の人や時代がちがう人たちはみんな不幸せですかになっていきませんか?

いまはモノが溢れている時代で色んな交通機関も便利になり多種多様なことが出来たり手に入る状態ですが、それらは一時的なものに過ぎません。

たしかに家族や人間関係といったことまで違いますとは言い難いものですが、それよりもっと大事なものがあるのです。

これらは今から説明させていただくものがなければ、ひとつも成り立ちません。

 

本当の幸せとは2食でも3食でもご飯が食べれることであり、屋根の付いた下で寝れることであり、人間として機能していることなのです。

これの、どれを一つ欠いても幸せになっていけません。

多くの人がおそらくごく当たり前に思い過ぎていて、これ以外のことでしか幸せを感じれなくなってしまっているように思います。

たしかに毎日美味しい好きなご飯が食べれるものではないですし、逆に毎日大好物ばかり食べていても飽きたり栄養が偏るかもしれませんので、仕方ない部分はあるのですが生きるためや身体の機能を動かす基本ですから有り難いに越したことはありません。

それに人間は少々食べなくても生きれるようですが、寝ることをしなければいずれ死んでしまうようですし死ななくても朦朧(もうろう)状態になり冷静な判断は失います。

屁理屈を言われる人ならば、お金があればすべて満たされるものだといいそうですが、自分の命はお金では買えないですし健康であるがゆえに物質が生きてくるものです。

 

例えますとディズニーランドに行ったら幸せで年パスあるから1年幸せが続くとか、武士の時代や石器時代の人からしたら、そのようなものはなく意味不明でしかありませんよね。

これは全世界の人や先人にも共通して言えることが本当の幸せであると考えます。

繰り返しますが、時代が変わってもいつの時代も全世界の人の共通するものは、食べれること屋根のついた下で寝れることで人間として機能できてることが本当の幸せであるのです。

このことを大原則に感謝イコール幸せを日々感じて欲しいですし、そのうえで次なる幸せについて説明していこうと思います。

 

本当の幸せは死を意識しないと分からない

 

死を意識するということは病状末期で余命宣告されていたり事故などで死の淵を味わわないと、本当に何が幸せなのか分からないものです。

このような状態のときにお金と思う人も稀でしょうし、苦しみの淵で趣味をしようとも思わないでしょう。

そこで考えたり浮かぶものといえば、家族や友人や恋人のことなどや過去に後悔するようなものに思います。

これらのことが目の前にあるからこそ有難みが分からないというのが人間というものです。

しかし、いつ訪れるかわからない宿命である寿命に対して毎日幸せに感じることができれば、これほど幸せということに間違いありません。

本当の幸せというのは、気付かない日々のなかでの感謝する出来事というものです。

 

この幸せということが実感できるのは、その多くは過ぎ去ったときや失ったときに感じるものです。

本当は現在不幸と思っていても、実は幸せな一部分があるかもしれないわけです。

 

あとは人と比較しないと幸せの判断がしにくい場合も多いということです。

他人と比較してでないと判断できないなら、本当の幸せとはいわないものになります。

それは一種の優越感がそうさせているのであって、まさしく幸せと勘違いしている状態であるというものです。

 

日本の自然災害は天からの気付き

 

いま日本の各地で地震や台風などの自然災害で、多くの人が被災し家を失ったり家族と死別するようなことまで頻繁に起きるようになってきました。

被災して家を失ったり浸水などで自分や家族の思い出のモノまでダメになったり流されたり、テレビでは分からないほど各々の人の苦しみや悲しみがあるのです。

非難されるようなことをいうかもしれないですが、自然災害で亡くなられた人も被災された人も苦しみは変わらないものとも、まだ死ぬほうが救われているとさえ思ってしまいます。(ここには人は永遠に死なないということを知っているから言うのですが・・・)

でもそこで気付くのは人との助け合いや思いやり、食べ物や水や寝ることの有難みなどを再認識していくのです。

避難所のかたい床での他人と密接して生活や共同トイレ、水や食料の配給などガラッと生活が一変するのです。

このようにして多くの日本人が気付き、そして都心部など被害を受けていない人の多くが他人事のように本当の幸せや有難さに気付かずに過ごしているのが現状と思います。

 

幸せとは感覚や価値観によるもの

 

いままで幸せって何だろうと思ってきましたが、多くの人が思うように好きなことをして好きなものを食べて何でも自由にできることなのかとも考えました。

それならばお金持ちが全員幸せなのかといいますと、そうでないのは周知の通りです。

私はハワイが好きなのでハワイに永住でもできたら至高の幸せなのかとも感じますが、いま日本と比較してそう思うのであって、実際に何年も住んでいくと慣れてしまって幸せとは思わなくなるような気もしますし、健康でなければ当然幸せとはいえないかもしれません。

 

なにもなく平穏な生活に幸せに感じる人もいれば、お金を使わないと幸せを感じれない人や友人や恋人と過ごす時間を幸せと感じるのにも差があるようです。

結局のところ本当の幸せとは、自分がどう捉えるかによって決まってくるものです。

最初に本当の幸せとは、日々感謝出来ることにありますといったことは大前提のうえです。

 

多くの人は幸せを無意識に秤にかけ人と比較することでしか判断できないものであり、羨望(うらやましく思うこと)することによって基準を設けるものです。

だれもが当たり前であることには感動も覚えないようです。

バートランド・ラッセル(アリストテレス以来最大の論理学者の一人であり多くの名言を残した著名人)は、羨望とは不幸のもっとも強力な原因と述べたとあります。

 

この小さなことから幸せを感じないと、やはり人の運命には乱高下はつきものなので失うものが大きく不幸でしかなくなってしまうのです。

 

さいごに

 

いまの時代は情報化社会なので、あらゆるものが見聞きして入手することが容易で便利な反面、人と比較することも増えた分だけ不幸とも感じます。

本当の幸せとはと書きながら不幸というのも変ですが、実は幸せに感じている人に読まれるよりも不幸と感じている人が少しでも視野の方向を変えて欲しくて、スピリチュアルをやっていますが書かせていただきました。

でも私が書いたことはウソではなく本当のことを伝えています。

少しでも目の前の幸せに気付かれることを真に願うばかりです。

毎回まとまりのない記事にお付き合い下さいまして感謝です。

 

では、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

 

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