成仏すると故人の状態が変わって遠くに行くような感じがしたり、魂の状態がして会えなくなるのかという質問を受けることが多くなりましたので、成仏すると故人とは会えなくなるのかということについて説明していきたいと思います。
成仏と未浄化の違いとは
成仏という字は仏に成ると書きますが、一般的な説明では煩悩が消えて悟りを開いた状態ということが多いので、さも遠い存在になったと感じると思います。
しかし本当のところ、成仏は魂の本来あるべき姿に戻ることであり、例外を除いては地上と似た世界に身を置くことになるというのが一般的なものです。
人は死後も意識が変わることなく継続することは幾度となくブログで説明していますが、成仏したからといって霊の世界で一変して景色が変わることはないのです。
景色が変わるとは・・・人間の世界から宇宙のような空間や光のような世界のような様変わりはしないということです。
成仏の世界のことについては、ここでは長くなりますので割愛させていただきます。
その一方で未浄化というと人間のいる地上に近く、成仏との間の世界にいる解釈しているのではないかと感じます。
しかし成仏と未浄化の違いの大きな点は、故人の未練や執着があるかないかです。
この未練や執着というものが煩悩といわれるものです。
悟りを開くというと小難しい言葉に感じますが、煩悩がない状態を悟りを開くという状態になるということです。
人間つまり肉体を纏った魂は、本来の姿である悟りを開いた状態であるはずが長い期間付き合う肉体にセットされている精神(煩悩の塊)に右往左往されるために、死後も煩悩が消えることなく継続されてしまうのが未浄化です。
この未浄化ですが、私たちがいる地上という世界を彷徨うような状態であるということ。
これが成仏と未浄化の大まかな違いです。
未浄化だと会えて成仏すると会えない?
人間と霊の棲む場所と考えるから、解釈としておかしくなると思います。
たしかに霊格や霊の世界での階層が高くなるにつれて波動という違いが大きくなるので、かけ離れたとか、地上に降りることに極めて難しくなるといったことはあります。
しかし人間として再生するレベルのなかで、とても高い霊格や階層のものが存在するのかというと、地球全体レベルでの総人口の約0.1%にも満たない確率ぐらい低いものです。
このようなかけ離れた話はこの程度にして、成仏しても会えるのかという説明をしていきたいと思います。
いきなり答えから申しますと、成仏しても会えるというのがげんじつです。
なぜ「成仏しても会えるのか?」についてですが、では「神仏や守護霊は成仏していないのか?」ということから考えて頂きたいと思います。
神仏という存在は、霊能力によって存在を感じれる人によっても神仏の対応は違うかもしれませんが、恐ろしいほど謙虚であり慈悲深く至極素晴らしい存在であるのに未浄化であるはずがありません。
守護霊様も一般の霊能者では感じることが出来ないほど霊格が高い存在なのです。
それを勘違いして、違う霊を守護霊だという霊能者は山ほどいるのが一般的といっても過言ではありません。
わかりやすく簡単に説明させていただくと、このような形で理解頂けると思います。
しかし故人の場合は、成仏しても最初の頃は遺された人の前に来てくれたり何らかの知らせをくれるのですが、成仏の期間が長くなると会えなくなることは普通にあります。
人間というのは現世で地上の生活が修行であり試練の場なので、先立った故人が人間の霊的な成長を妨げるようなことがないように、地上にいる大切な人を見守り、あえて存在を現わさないようになるものです。
霊の世界の掟というものがなくても、自ずと地上にいる大切な人の妨げにはなりたくないという思考に変わっていくことが出来るのも、成仏した立場だからの所以でもあるのです。
以上で成仏しても会えるのかという事について説明は終わります。
さいごに
亡くなった大切な子供や家族、また恋人などと会いたいと願うものですが、人間という地上での生活には別れというものは必然のもので、遅かれ早かれ避けることが出来ません。
死とは、辛く悲しいものであり、寂しいものです。
このようなことも人間として生きていくうえでの運命であり意味があるものです。
成仏した故人の思いや気持ちも考えながら過ごしていきたいものです。
何れは自分も霊の世界に帰り成仏といった世界で過ごす事になるので、それまで少しの間だけ人生の波を乗り越えて再会を楽しみに生きて頂きたいと思います。
それではこの辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>