神仏に関すること

悩んだり心が苦しいときこそ仏様に縋ってみる

悩んだり心が苦しいときに自分自身でコントロールできず、人に相談しても解決の糸口が見つからなかったりすることがありますが、そんなときこと仏様に縋ってみるべきなのです。このようなことについて説明させていただきます。

 

仏様とは御利益や願望を叶えてくれる便利屋さんのような存在ではありません。

 

悩みが深かったり、心の苦しいものが取れなかったり、生きていることも辛い状況に解決の糸口さえ見つからないときにこそ仏様に縋ってみる意味があるのです。

 

参拝に訪れてもスグには何ら変化を感じないこともあるかもしれませんが、人間を遥かに超越した存在であり先見の明を持ち合わせておられるので、一生懸命に縋れば必ず救いの手を差し伸べて頂けます。

 

それが脳裏に降りてくるものなのか、ひらめきなのか、自然に薄れていくものか、他人からの言葉なのかは各々によって違うので特定したことは言えませんが、解決の糸口になるものがあるはずです。

 

私は幾度も仏様に助けて頂いていますので、こうしてお伝えさせて頂くのです。

 

悩み苦しいときに言葉で救われないことも重々ありますから、その時その人に合ったものが頂けると解釈して下さい。。。

 

仏様に縋るとは、自分で会いに行こうと思った仏様でよくて自分の心の内を仏様に伝えて御助言や救いの術(すべ)を授かることにあります。

 

 

 

仏様というと願いを叶えてくれたり御利益を頂けるような存在と一般的に解釈されていますが、何の見返りも求めず人間の欲や願望を叶えるために存在していると考えるほうが違和感があるというものです。

 

こんなことを人間である私たちが神仏の立場になったとして、知らない人に祈願されても叶えるわけもなく、所詮無視するか文句を言う程度だと思います。

 

これは仏様であっても同様で、叶えるために意味がなければ相手にしてくれないわけです。

 

仏様の御利益も御加護も利他愛ですが、この『利他愛』とは単純に他者の利益だけを優先するのではなく、手を差し伸べることによって他者の成長を望む目的を秘めているのです。

 

だからこそ、悩み苦しんでいたり死にたいほどの境地にいたりすれば、仏様に縋ることで手を差し伸べて頂けることが多いというわけです。

 

私たちがこの世に生を受け生きるのは幸せを得るためだけではなく、どちらかというと辛苦や悩みを乗り越えて霊的な成長を望むためといったほうが適切なものといえるのです。

 

いい意味で悩みや心の苦しみから一日でも早く脱出できることを願っています。

 

 

それでは、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>