なんらかの思いや念が強いまま死んでしまうと成仏する機会を逃してしまいやすく、この世を彷徨い続けることになり、救いを求めるにもわかってもらえず年月だけが経過していくことになります。
はじめに
これまで色々なケースの未浄化な霊と関わってきましたが、彼らの多くが成仏の仕方がわからない状態でいました。
今回はそれらについて、少し触れていこうと思います。
百年を超え成仏していない霊も少なくない
百年を超えるといっても、関わっても生まれや年号を聞くことはないので、纏っている服装などからの見解となります。
共通している点として、彼らの多くは無念でならない死に方をしています。
無念でならないとは。。深い悔しさや失望感、残念な気持ち、不本意など。
これらの死とは、他殺・戦没死・自殺・餓死などが代表的なものですが、その人たちの境遇が関係します。
このほかですと、怨念(因縁)や強い執着などをもった霊なども、成仏せずにいることも少なくないように感じます。
全国には、こうした霊が彷徨っていたり憑依したり、一定の場所に留まっていたりします。
死んで彷徨い続けると成仏できない?
一般的に死ぬと、三途の川があって先祖などが迎えに来ると言われますが、それも現実のケースとしてあります。
正直。。先入観がそうした死後のシーンに影響を与えるというのが強いと思います。
ですから、外国人が死んでも三途の川は出てこないのでしょう。
死ぬと御先祖や極めて親交の深かった故人、過去世で深い関係(家族など)にあった故人が現れたりします。
過去世で関係があった故人が出てきても、親しみはあっても誰かわからない状態になりますが、時間とともに記憶は甦ってきます。
そういった彼らの導きによって成仏していくのでしょうが、前項に記したようなパターンはこの地上を彷徨うことになります。
死んだ当初は成仏の概念もなく、現世に対して無念でならない思いを持ち続け、刻々と年月だけが過ぎていきます。
その変わらぬ念に対して、生者や亡者の誰からも救いの手が届かない状態が続くため、現状を変えられない状態となる。
つまり、成仏したくても出来ないし、そうした成仏にも気付かなかったりもします。
彷徨う霊を救うのは生者を介す
長いあいだ彷徨っていると、生者(生きている人)が話を聞いて共感してくれたりすると、何十倍にも救われたりするのです。
彷徨い続けてきた霊にとって、自分の思いや無念さをわかってくれる人は誰もいなかったのですから、それはそれは大きいことです。
そうして話を聞いてあげて、これからどうしたいかと聞くと。。
ほとんどの霊が、『救って欲しい』と言ってくるのです。
このときに救ってあげる(成仏する)ことができると、これほど感慨深いものはありません。
イトケンの場合は、救うといっても仏様が御力を貸してくれるのですが、仏様の御慈悲と施しは感動に値するものです。
お寺などで施餓鬼供養などありますが、救われていない霊たちがいるのは、話を聞いてあげることも大切なのだと思います。
除霊を浄霊と結びつける霊能者もいますが、それは未浄化の霊の状態などを勘案しなければ浄化にはつながりません。
そのうえ霊が成仏したいといっても、とおり一辺倒な御神仏にお願いして叶うとは限らないですからね。。
御神仏に対しての名称や詳細は、ブログの方向性上から割愛します。
さいごに
今回は彷徨い続けると、成仏できなくなる霊が多いことについて書いてみました。
何かの参考にしていただければ、幸いに思います。
それでは、このへんで終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>