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入学試験の不合格とスピリチュアルな意味

年が明けると入試のシーズンに入りますが、この入学試験合格や不合格にも、スピリチュアルな意味があるもので、努力が無駄にならないことも然りですが、それよりももっと大切なことがあるのです。

 

入試の不合格にも意味がある。

気休めや慰めではない、その方向が点と線を結ぶもの。

もちろん、夢や希望に影響するかもしれないが、それも運命が絡んでいる。

 

入試の不合格とスピリチュアルな意味

当ブログの管理者は、大した人間ではないので、努力や試練といった難しいことは言えませんが、スピリチュアルの運命のことは少しだけ語れます。

 

さっそく、本題に入らせていただきます。

 

目の前の合否だけでは語れないこと

私たちの人生には、各々に運命という死ぬまでの道がつながっています。

 

入学試験の合否は、その長い道のりの一つの通過点に過ぎないわけです。

 

合格しようが不合格になろうが、人生の時計は止まらずに動いていて、その人の運命に見合った道を進むようになっています。

 

それが、友だちや恩師などといった人の出会いであったり、進むべく方向が変わることに意味があったり、人生に大きな影響を受ける何らかのステージだったり。。

 

つまり『縁』・『進路』・『人生の影響』などが、時期がズレたり方向が変わることでしか巡り合えなかったりするものがあります。

 

経験することを得る

人が経験を得るのは、合格した喜びよりも不合格になった悔しさや悲しさや落胆といったもののほうが、そこから得るものが大きいのです。

 

人は問題を乗り越えるほうが、成長に大きな役目を果たします。

 

だからといって、落ち込むことが良いと言っているのではなく、落ち込む期間があってもそこから這い上がるチカラに期待があるのです。

 

人生のすべてはタイミング

1本の電車に乗り遅れたから、難から逃れたというように、人生にはタイミングがつきものです。

 

社会の状況や景気が影響するように、よい波に乗るか乗らないかは、目先のことではわかりません。

 

すべては波が起こる前後の状態が関係するので、前に進むばかりが良いことともいえず、後退や停止することが功を奏すことも、長い目でみれば多々あります。

 

早く芽が出る植物があれば遅いものもあり、花開くタイミングもまちまちなように。。

 

人間にも早期型、中期型、晩期型といった違いがあるのです。

 

さいごに

入学試験という、多くの人にとって初めてのビッグイベントかもしれませんが、そこで人生が決まるものではないということです。

 

上がり下がりしながら、誰にも影響されずに自分で人生の階段を積み上げていけば良いのですよ。

 

目的に向かって頑張っていることが素晴らしいことであり、勉強やスポーツのように生まれながらに得意不得意があることも、お忘れなくです。

 

 

それでは、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>