先祖供養の大切さが分からないために、お墓や仏壇を放置する人が増えてきていますが、実は自分に影響するものということをご存知でしょうか。たまたま親や親族が先祖供養をしていたために、いまの自分の流れが良かったりするものです。なぜ先祖供養が大切なのか、また先祖供養する本当の意味とは、どいうものなのかを説明していきます。
先祖供養がなぜ大切なのか
先祖供養がなぜ大切かといいますと、まず先祖というのは肉体から離れただけで、いまもなお生き続けているというのが大前提になります。
こんなことを書いても霊的な体験をしていないと到底理解できないものかも知れませんが、自分の先祖や他人の先祖と接触してきたからこそ伝えることができるのです。
私の場合は、車を運転中に寸前で大事故から逃れたり、低級霊を一生懸命追い払ってくれたり事実として実感がありますが、そのようなことに気付くまでは、先祖が守ってくれているなどと意識もしたことはありませんでした。
このように先祖は見返りを求めることなく、子孫を守ったり導いたりしてくれています。
そこで先祖供養が大切ということを説明していきます。
先祖供養というのは、先祖に対して「私は元気でやっているので心配しないで下さいね」というような意味もふくむもので、先祖の子孫に対する心配や不安を取り除いてあげるというのがひとつです。
それにお供え物や線香やロウソクといったものを添えることによって、香りや供え物の「気」を吸収して灯りをともし元気に修行に励んでもらうといった意味があります。
このようなことを日々行なうことによって、先祖の霊は修行に打ち込むことが出来るので、先祖供養を手厚くされている家系は繁栄するといわれています。
ここで手厚くと書きましたが、ただ形式だけの豪華絢爛な仏壇に高価な供え物がいいということでは、まったくありません。
仏壇やお墓などは地味なもので十分ですし、普段の供え物も無理する必要もないです。
なぜこのようなことが言えるのかといいますと、先祖が修行に励まれて霊の階層があがることによって、その先祖のチカラが子孫に影響してくるからです。
少し話はズレますが、霊の階層があがるほど先見の明(将来の事柄について見通す力や見識の力量など)が増し正確になるばかりか、子孫に対してフォローする範囲も広がります。
どうしても先祖といえど、姿や形が見えないので実感として湧かないと思いますが、先祖たちから子孫は見えており、亡くなってからも親や祖父母のように子孫を心配や不安な気持ちで見守っています。
このような気持ちが、先祖たちの足かせになっていることが多いのです。
これは人間と同じ感覚のようなものと理解して頂きたいところです。
このようなことが子孫に大なり小なり影響を与えているのですが、運気が強い人と弱い人がいるのも、すべてではないですが先祖のチカラが関係しています。
先祖の祟りについて
先祖供養をしないから、先祖が祟るといったことをよく聞きますが、これは祟るというようなものではないです。
昔から先祖の祟りによって、身体の不調や不運なことが立て続けに起こったりって聞きますが、それは先祖の祟りではありません。
たまたま、そのような不幸なことが起きると先祖供養の責任にするだけであって、邪霊や低級霊の仕業である場合と、本人の修行という試練である場合が多いものです。
結論から先に申しますと、先祖の祟りはないです。
たしかに先祖の中には、幽界を彷徨っているものや低級霊になっているもの、地縛霊になるようなものも存在しますが、だからといって子孫に影響を与えるというものではないです。
このようなものは、同じ思念や波長のものに引き寄せられるのが普通ですし、先祖として子孫に何かしらの恨みでもない限り問題はありません。
それより親族や家族のなかの誰かに酷いことをしたような場合は、他界してから怨念霊になりうることはあるでしょうが、その程度です。
あとは先祖の因縁による子孫への巻き添えと、自分の前世の因果のほうが考えられます。
先祖供養をしなかったら
先祖供養をしないからといって問題があるわけではありませんが、分からないだけで先祖の恩恵は受けています。
考えられるのは、先祖供養というのは代々供養してきたからこそ、いまの自分が守られていたり良い方向に向かうお手伝いをしてくれているのですね。
自分の代で先祖供養をしないということは、子供や配偶者などにも影響する可能性があるということになります。
先祖供養をしなくても生きてはいけますが、あなたや親族を守る力や運気が弱くなるだけなので、捉え方次第といったところです。
実は先祖と私たちはつながっており、おたがいの関係で左右されていくものです。
先祖供養する意味とは
あまり書きたくありませんが、先祖供養する意味というのは先祖に対する供養というのは当然であり、結果的に自分に対する供養にもなり恩恵が待ち受けているということです。
生きているうちにも先祖の恩恵を受けやすくなるうえに、死後の世界での大きな功徳の貯金になるようなものです。
むしろこちらの方が供養に対する恩恵は大きいと思います。
これをいうなれば、先祖供養の好転反応と呼ぶ人もいるようです。
といいましても、先祖供養することで現世においても運気があがるといった状況にもなっていきますし、不意や不慮の災いから救われるといったことも十分考えれます。
しかし、いいことが起きるとか願い事が叶うようなものではありません。
あくまでも、あなたが人生の主役であり苦労や困難に直面することはあります。先祖供養をしていても乗り越えないといけないものは多くやってきますが、その手助けをしようと頑張ってくれるのが先祖であるわけです。
これが先祖供養する本当の意味です。
先祖供養の大きな勘違いの事例
よくありますのが、伴侶が亡くなられて相談事や悩みごとなどを仏壇に報告される人がいますが、これは成仏の妨げになってしまいます。
といいますのは霊の世界ではこの世との未練を断ち切って、修行をしないといけませんので心配や気がかりなことがあると、その者は気になって仕方なくなります。
結果、幽界に霊として留まってしまったりすることはよくあります。
先祖の遺品なども数十年飾っていたりすることも、先祖からするとこの世の未練が断ち切りにくいので、棚などにしまって見えないところに保管するほうが先祖にとっての優しさになっていくのです。
さいごに
先祖供養をするということは、先祖が喜ぶことであり結果的には自分に返ってくるものです。
メリットがあるからするのではなく、心が大切なものです。
近年は先祖供養をする人が減ってきているようなので、色んな事件や事故に巻き込まれたり犯罪を犯したりすることなども、私見では先祖供養が関係しているように思います。
このようなことも先祖供養をしていたならば、救われたりするものです。
先祖の存在は自分が死んだときに気付くかもしれないですが、供養しておけば良かったと後悔されないようにしてください。
ひとりでも多くの人が、先祖供養に目を向けられることを願います。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>