スピリチュアル関連のものには仏や守護霊をブログタイトルなどにして情報発信をしているものが多くいますが、真偽を疑いたくなるものです。なぜ仏や守護霊が名乗らないものなのか歴然とした理由があることを説明していきます。
私がこうしたことを書く理由として守護霊様から教えて頂いたことに始まります。
その後は数々の経験から正も邪もいる未知の世界において、偉大な存在の『お言葉の何が一番大切なのか』といったことを学んできました。
存在の見た目や名乗った名称を重んじるのか、如何なる相手に対しても全てを鵜呑みにせずに自分が正しいと思ったことだけを信じるのかということです。
答えは当然に後者なわけで、『私は○○である』と偉大な存在に名乗られても霊の世界(未知なる存在)は人間以上に巧みであることを理解する必要があります。
さらにいえば、人間の世界でも人を欺いたりするものがいてるなかで、霊的な存在が人間と同レベルなことしか出来ないと考えるのは至極浅はかであるといえましょう。
私たちは地位や名誉また多くの人に支持されている人は正しいという先入観がたつようですが、そこに落とし穴があるわけです。
人間の世界ならまだしも邪霊の世界はややこしく、人間を完全に信じ込ませながら悪いものを植え付けていったり代弁者の人間を使って発信させたりします。
だからこそ、清浄な霊的な存在(神仏や守護霊など)は基本的に名乗らないし、ブログや書籍などで日常的に名称を使われることを好まれないことのほうが多いわけです。
人間が発信するもののなかで仏様などが黙認されるのは、諸尊に対する祀り方や礼節作法などだったり、一部能力のある人間に対しての修法的な内容関連といったものでしょうか。
各々の個人的な部分でいえば、関わることが出来た仏様に対して『貴方様は○○の仏様ですか?』と問えば私の言っていることが理解できると思います。
ステータスや見た目で判断するのは人間の世界だけであって、神仏や守護霊の世界は仰っておられる内容が如何なるものかを人間である私たち自身で判断することが大切なわけです。
私たちの人生・運命・宿命といったものに気付きを与えて頂けるのが、諸尊であったり守護霊だということを少しでも知って頂けたらと思います。
もちろん、そればかりではないので名称を名乗られるというか悟らせて頂けることはありますが、基本的には名乗る必要がないので名乗らないというのが仏様であり守護霊様の一律なお考えであります。
それでは、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>