生きている人間にとって時間というのは生活には欠かせないものですが、私たちが死後に帰る霊の世界には時間の概念がなく、何を基準にこの地上の世界にくるのか時間の概念がないということはどのようなことかを説明させていただきます。
私たちが日々当たり前に何時何分というような時間の感覚は、人間である期間限定のものだということは、ご存知の人も多いと思います。
出勤時間・登校や登園時間・電車の時間・食事の時間・起床時間・約束の時間とあげたらキリがないほど人間の生活に時間は欠かせないものです。
しかし私たちがこの世を去って霊の世界で生活することになると時間の重要性は消えてしまいます。
なぜ時間の重要性が消えてしまうのかと申しますと、霊には肉体がないのは周知の通りなのですが、この肉体が大きく影響しているために時間というものが必要になってきます。
人間には肉体があるがために眠たい身体を起こして動作し目的地まで行きますが、霊というのは肉体の維持のために寝るという必要がなく、瞬間移動が普通であり衣服を着替えるといった必要がないのです。
こういったことから霊の世界では時間という必要性がないのです。
そのほかにも物質的な依存というものがなくなるということも然りなのですが、このようなことは今後の記事にしていこうと思いますので割愛いたします。
霊の世界に時間の概念がないことについて簡単に説明させていただきましたが、ではどのようにして霊が私たちのところに来たり大まか時間を計るのかを説明していこうと思います。
一番に霊の世界のものが時間を判断する目安は自然(主に太陽の位置や月の位置など)を基準にすることが多いようです。
よく丑三つ時などと言われるものは霊が多く活動しやすいなどというのは、基本的に人間の多くが寝ている(深い眠り)時間であるために睡眠時の幽体離脱が起きやすい時間ということが関係しています。
幽体離脱?って感じになると思いますが、私たちは睡眠時に肉体も魂も休んでいると思いきや魂自体は寝ることがないので、この時に先立った故人と(夢で)再会したりすることが多いことから様々なものが乗じて出てくるような感じです。
とは説明していますが、日中に出てくる霊も当然にいます。
日中に出てくる霊の中でも未浄化なものは、その辺に座っていたり誰かに付いて行ったり人混みに紛れていたり未だ人間と同じような感覚でいるものも少なくありません。
こうしたものも未練や執着また何らかの強い念がなければ、そのような行動は減り多くの霊と同じようになっていきます。
ということで、霊には時間の概念がなく自然を参考に行動することが多く、夜に霊が多いと言われていることにも意味があって人々との関わりの具合が関係しているということです。
もちろん、日中に愛する人に会いに来てくれたり意識や念が通ずることによって呼び寄せらるようなことも普通にあります。
それでは、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。m(_ _)m