高野山開創1200年ということからも分かりますように、空海さんの肉体がこの世を去って1200年が経ちますが、今もなお衆生(しゅじゅう)救済のための活動をなさられています。そこで空海さんが今なお生き続け、私たちを見守ってくれていることを説明します。
空海さんって書いてますが、私は、いつも大師様と呼んでいます。
その空海さんはというと‥
空海さんが生まれたのは宝亀5年(774年)讃岐国多度郡(現在の香川県善通寺市)で生まれ幼名を真魚(マオ)といったそうです。
36年後の弘仁元年(810年)に真言宗を立教開祖されました。36歳の若さで真言宗を作ったのですから空海さん凄すぎます‼
承和2年(835年)3月21日寅の刻(AM3時~5時を指すので多分午前3時かと…)に高野山に御入定されました。
この御入定というのは瞑想に入ることを言いまして、密教の教義においては僧侶は死なず生死の境を越え弥勒出世の時まで衆生救済を目的として永遠の瞑想に入ると考えられているそうです。
ちなみに赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしたのも寅の刻といわれる説が有力とのことです。
ということで、空海さんがいつの時代の人かお分かりになられたかと思います。
それで空海さんが生き続けているという話ですが、これから書きますね。
たまに空海さんと話したとかサイトなどで書かれている人もおられますが、正直羨ましいのひと言です。かの有名な「桜井識子さん」もそのうちの一人ですよね。
それだけでも分かりますように、空海さんは生き続けられています。
でも、これだけ凄い人たちが語ってても昔の私なら半信半疑だっただろうなぁって正直思います。霊の存在もスピリチュアル全般も占いもまったく信じなかったですからね。
この凄い人たちからすると、とても小さな出来事になりますが空海さんが生き続けるという私の根拠になった出来事なので読んでやって下さい。
これは一緒に住んでいた彼女に憑依した霊の現象に何カ月も悩まされていたというか、チカラも霊能力もない私が霊と戦ってきた時の話です。
憑依した霊が現れはじめた最初のころに、なにか聞きなれた方言口調のお婆さんの霊が私に親しげに話してきたのですね。それも毎晩出てきました。
「○○やきな~」とか語尾が祖母の口調だったんです。それも私を親族しか知らないあだ名で呼ぶんです。当然彼女はそんな地方の出身でも縁もないし、私の親族間の呼び方なんて知りません。たとえばヒロシという名前ならヒーちゃんというみたいにですね。
それで祖母だと分かったんですけどね。
その時に、ほんとうに色々な霊が出てきましたが、幸いまったく見えないから霊たちと戦ってこれたのかも知れません。まあですね、いまも気配は感じても見えませんけど…。
で祖母が毎晩出てきてくれたのは、霊から守ってくれるためなんですよね。ところが毎日霊の数もハンパない数なので祖母の手に負えなかったのですね。
霊も様々なものが出てきましたが、祖母のほかにも守護していただいている霊も出て来たりしてくれて邪悪?な霊たちを排除してくれたりして過ごしてました。ほんと毎日キリがないくらい霊現象に悩まされました。
とにかく私を守ってくれる良い霊が彼女の身体から離れると、すかさず入れ替わり立ち替わり邪悪?な霊が入ってくるといった状態でした。
それがあるときに祖母が「袈裟を着た僧侶が来てる」って驚きだしたんです。当然わたしには全く見えません。すると「僧侶の数が増えてきた」と数名の僧侶が見えられたことを祖母は驚き私に伝えます。
その瞬間祖母がすごく驚きだしました。「あー弘法大師じゃー」「鏡台の上に座っておられる」と私に伝えました。そして大師様と僧侶の方たちが浄霊をして下さったのですね。
ほんとどれくらい時間がたったかも覚えてないのですが‥。 このときは見たかった(´;ω;`)
そこからは見事のひと言です。大師様と僧侶の方たちが帰られたあと、完全に霊現象が消えました。このあと霊障が起きることもなくなり祖母も霊の世界に戻られ普段の生活に戻ったという話です。
こんな私までも大師様は救って下さるのだと感謝は消えずに今に至ります。
私の体験から空海の話しをしましたが、本当に今もなお衆生救済なさられて生き続けられておられるという話でした。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>