よくあることなのですが、故人が亡くなって間もない時と時間が経過したときに遺影の表情が変わって見えるときがありますが、そうしたことが錯覚とは限らないことについて説明させていただきます。
はじめに
大切な人や愛する人が亡くなったときに遺影を飾ったりするものですが、遺影の表情に違いを感じる人もいると思います。
霊能者によっては、写真に御霊を入れる(開眼やお性根入れ)ことが出来るという人がいますが、その真意は如何に。。。
まさか故人が遺影に乗り移ることがあるのかなど、少しの疑問について説明していこうと思います。
遺影の表情が変わるとは
遺影といいますと故人の生前を写した写真になりますが、それも笑顔のものであったり証明写真の感じだったり色々だと思います。
ところが、わかりやすいものですと亡くなって間もない時の遺影の表情が悲しそうに見えたり怒って見えたりしていたものが、時間の経過とともに同じ遺影なのに柔らかく和んでいたりすることがあります。
人によっては、数日や数か月で遺影の表情が変わって見える人もいるかもしれません。
これは遺影に、故人の気持ちが乗ることで見せる表情で不思議なものではありません。
遺影に故人が憑依する?
簡単にいえば、遺影に故人が憑依することはあります。
なぜ、遺影に故人が憑依できるのかといえば、仏壇を拝んだり遺影を見ている人の想念が故人と繋がるために起こります。
この現象をわかりやすくいえば、以心伝心と同様と考えてもらってよいです。
霊的な目線ですと遺影を見る人の想念がミラーのように故人に伝わり、故人自身の想いや感情を浮かび上がらせる感じでしょうか。
だからといって、遺影にずっと憑依したままではありません。
遺影が悲しげ寂し気なとき
故人が亡くなった当初は、遺影も寂しそうだったり悲しそうな表情を見せることが多いものです。
こうしたことは一般的なもので、心配するものでもありません。
誰もが家族や親しい人たちとの別れを惜しむものですから、遺影にそうした表情が現れても自然な感情だと感じます。
しかし一年経ち二年経っても表情が寂しそうだったり悲しそうなときは、何らかのアピールをしていることがあるので供養や気掛かりなことを見出して解決してあげることがよいでしょう。
遺影が笑って見える
仲が良かったり親しかった家族や近親者に見せる表情のときもあります。
そのほかにも、大きな未練や執着がないような平穏な状態と伺い知れます。
何も心配することもありませんし、順調に成仏の道を歩まれていくことと感じます。
遺影が怒って見えるとき
遺影が怒って見えるときは、何らかの不満や怒りをもっていることが考えられます。
たとえば亡くなられてから故人の悪口を散々言ったり供養(想い)が事務的だったり、また遺族や近親者の日頃の行ないに問題があったとか振り返ってみたほうが良さそうです。
遺影の表情は変わりますので、心当たりを探ってみて下さい。
さいごに
遺影とは不思議なもので、ただの錯覚といったものでもありません。
わかるものにはわかる科学では立証できないものです。
故人が遺された人に見せることが出来る数少ない表現の方法のひとつと捉えて、遺影に思いを馳せることも良いでしょう。
よく遺影にも魂を入れる(開眼、お性根入れ)ことが出来るという霊能者がいるようですが、そのようなことをしなくとも心に強く思うことで故人とは繋がることができるのです。
それでは、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>
SAKU 様
はじめまして。
コメントありがとうございます。
記事が少しでもお役に立てたようで嬉しいです。
本当に暑い日が続きますね。
SAKU様もお身体大切にお過ごし下さい。
イトケンさんはじめまして
主人を亡くしてから度々こちらのブログ拝見させていただいておりました
手を合わせていると遺影の表情がいつもと変わって見える事があり、ただ私の心理状態によってそのように感じているだけなのかなとも思っておりましたが、
今回の記事をお読みしてこちらに来てくれていたのかなと少し嬉しくなりました
まだ梅雨も明けませんが暑い日が続きますね
どうかお身体ご自愛ください