前世・現世・来世と人間が輪廻転生を繰り返すのは確固たる目的があり、その目的を果たすために不運・不幸・辛苦を味わいながらでも自分の意思で再びこの地上に戻って来ているのです。
はじめに
スピリチュアルの世界で輪廻転生をどのように説明されているのかわかりませんので、少し他者が書いたものを覗いてみようと思います。
(このあとに数分程度ネット検索しています。。。)
ん~、なんか難しくて頭に入ってきません。
お寺の関係者の人なら仏教(仏の教え)を学んでいるので分かるのかと思いましたが、いまいちピンときませんでした。
本当は、輪廻転生の目的はシンプルで皆さんが望んでいる究極を表わすものです。
それでは私たちがナゼ輪廻転生を繰り返すのか、またその目的などについて説明させていただきます。
輪廻転生って強制?
答えから申しますと、輪廻転生は強制ではなくて自分の意思で行なっています。
もちろん、格上の霊から促されることもないとも言えませんが。。。最終的には自分の判断と意思で輪廻転生をしています。
本当は成仏といわれるような世界に身を置きますと、もう人間の世界(地上)になんて戻りたくないと思うものなんです。
わざわざ行きたくもない仕事や学校に行ったり人に気を使ったり、醜い争いや犯罪行為また欲にまみれた人種と共存するなんて本当に疲れると思います。
この地球は霊的な世界からすると、波動の低さは最下層から数えた方が早いぐらいの場所といっても過言ではありません。
では、ナゼそのような場所ってわかってて転生を繰り返すのかといえば、この人間の世界が一番霊的に成長できる所だからです。
「霊的になんて成長したくないから」という人もいると思いますが、天国みたいに満たされた境遇を果てしなく続けていると、魂は更に高みを望む習性をもつために転生を繰り返してしまうわけです。(その高みについては、下記にて説明させていただくものです。)
それだけではなく、そういう平穏な世界に身を置いていると人間の世界で暮らした自分の人生を小さく思えて後悔して再度やり直したいとも思い出します。
客観的に映画のシーンを見ているように、「あの時こうすればよかった」「ここは違う選択だった」「未熟だった」とヤキモキしながら回想することも輪廻転生へのチャレンジにつながっていくのです。
人間は、空気(大気)・太陽・水・生物・土・火など日常にあるものに感謝することもなく、当たり前のものと勘違いして違うものに幸せを追い求めるようとするのです。
人間の世界(地上)が棲みにくい理由
このタイトルは輪廻転生に関係ない気もしますが、前項の続きとして触れたいので少しだけ書いてみます。
この地上つまり人間の棲む世界は多種多様な人が共存し、考え方や捉え方も十人十色なうえに霊的成長の度合いも各々に違います。
ただ簡単にいえることは、この世のすべての人間に完璧なものは誰一人としていないこと。
むしろ未熟な魂たちが同じタイミングで寄り合い、それぞれの人生を歩んでいます。
いわば。。。物質的なものに拘ったり何らかの欲を貪り放し飼いのサル状態(サルには失礼ですが汗)なものから、思いやりや優しい心が欠如したもの、上辺だけの人生を過ごすものなど様々なものとの共存です。
なかには善人や霊格の高いものもいますが、色んな人間(魂)が集団生活をするわけですから未熟な魂が多いと人生を全うすることに苦労もいるわけです。
しかし、この世は表裏一体であるため魂の気付きや比較が出来る場として、地上は最適であるとも考えられます。
輪廻転生の目的はひとつ
輪廻転生の目的について、冒頭に「皆さんが望んでいる究極」とお伝えしました通り、揺るぎない本当の幸せがその先にあるのです。
成仏とか天国が最終目標だと思っている人も少なくないと思いますが、まだその段階ですと輪廻転生は終わりません。
ここまで書いてきましたように、人間(魂)には欲望が付き纏います。
成仏や天国といった所で毎日平穏で何でも欲しいものが手に入ると、それで満足出来るように思いますが、前述しましたように空気(大気)や太陽(または月)や火や水などどうでしたでしょうか?
日常の当たり前になると、そのものには幸せを見出しにくいわけですから何れ物足りなくなるのは時間の問題なわけです。
もちろん、これらは個人差があるので人間の寿命ぐらいでは実感できないかもしれませんが、それが数百年と続いたとしたら普通は飽きてきます。
つまり。。。
輪廻転生の最終的な目的は、『欲望』を滅することにあります。
欲望とは。。。「不足を感じて、それを満たそうとする心」を意味します。それを満たすために何らかの行動や手段を取りたいと思わせ、それが満たされたときに快と感じる感覚のこと。生理的なレベルのものから社会的レベルまた利他愛といった高次のレベルのものまである。心の働きや行動を決定する際に重要な役割をもつと考えられるもの。(Wikipedia引用)
単に欲望というと性欲や金銭欲など濃いものと捉えがちですが、望み欲することを欲望といい「物事がこうであればいい」「こうしたい」「こうなりたい」「こうして欲しい」「そうなって欲しい」「こうしてもらいたい」などと心に強く思うなども含まれます。
ここでも仏陀(ブッダ)の言葉にもありますが、欲望を棄てれば輪廻転生は終わったといいます。しかし一般の人間が欲望を棄てることは困難であるが、体験や経験によって得た知恵(=智慧)によって欲望は制することが出来るとも説かれています。
欲望を叶えることで得られる「快」という満足感は一時的なもので、それがさらなる欲望を招いてしまい欲望に囚われ欠乏感に悩まされ続けることになります。
よく言われる因縁因果も欲望がなければ起因するものもなく、万事問題なく過ごしていけることになります。
私たちが本当の幸せになりたいと願う究極のものは、輪廻転生を繰り返しながら知恵を使って欲望を消し去り、永遠不滅で満ち足りた幸福を手に入れることにあります。
もちろん、その世界に行けば人間や通常の魂が味わったこともない清浄で得も言われぬ新天地が待ち受けていることは言うまでもありません。
なぜならば、一物の曇りもないものしか存在しない清浄な世界なのですから。。。
さいごに
新天地の話は別としまして、私たち人間が悩み苦しむのは欲望があるからで欲望がなければ如何に楽なものかを少しでも考えていただければ幸いに思います。
物心ついた時から現在に至るまで、どれくらい欲望に振り回されてきたのか本当に必要だったのかなど振り返ってみるのもいいかもしれません。
いつもながら説明が下手で恐縮しますが、輪廻転生を繰り返す目的が理解し難く思われましても、欲望を制していくことは生きるうえで大切なことに変わりありません。
それでは、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>