生きる意味とは自分の存在価値をどのように見出すかが大きなポイントになりますが、それ以前に生きることの意味について説明していきたいと思います。
生きる意味を説明しようとするとき、多種多様な人がいる世の中で簡単には語れないものだと思います。
しかし、間違いなく言えることは、誰一人として無意味と思えることでも意味のない人生を過ごす人はいないということ。。。
たとえそれが、どんな状況であってもです。
生きる意味とは
生きている意味とは、自分が誰かに必要とされていたり、存在価値を認識したときなどに感じるものです。
また逆に、夢や希望また楽しみというものが自分の中から消えてしまった時には、生きることの意味が分からなくなってくるものです。
一時的な感情で生きる意味を失う人は多くいますが、それは一時的な感情であって、基本的に生きる意味がなくても死ぬ意味もないのです。
つまり。。。
生きる意味とは、自分がどんな状態であっても最期まで生きることです。
そこに、自分の感覚や価値観を重ねてみるものでもありません。
あらかじめ道のように敷かれた運命によって、いまの自分の境遇があります。
ある意味、受け入れるしか仕方のない部分です。
人間は知性があるからこそ色々と考えるわけで、虫にしても動物にしても生きる意味がないからと諦めることなく、死ぬまで本能のまま生き抜きます。
むしろ、人間の都合(便利さや利益)のために、虫や動物たちのほうが年々過酷な状況にさらされてしまっている現実です。
虫や動物たちには知性がないから人間とは全然違うということもなく、私たちは彼らと共存していて人間だけが偉いということはないのです。
「上をみればキリがなく、下をみればキリがない」ように、色々な人生を過ごされている人がいるのですから、生きる意味をそこまで考えなくても良いように感じます。
生きることに理由はいらない
多くの人が生きることについて、頭をよぎったり考えたりするかもしれません。
何のために生まれて来たのか。。。
勝手に生まれてきて、毎日ルーティンのような生活をして、気がつけば寝る時間。
はぁ~。なんで生きてるの?
嫌なことが多かったり、嫌な思いをしてまで生きないといけないの?
別に生きててもいいことないし、辛いことや悲しい事ばかりやのに。。
別に誰にも必要とされていないのに、存在価値ある?
これって、実は生まれて来たことに意味があって、怠惰な生活をしようが無意味と感じる運命であっても、この人生の終わりが来るまでやり過ごせば、生まれて来た目的の完走の運びとなるのです。
マラソンみたいに、走ることが好きな人にとっては楽しく有意義と感じるものが、興味のない人にとっては、ただシンドいだけと思いながらゴールまで走るのと似ています。
マラソンと違うのは、早さを競うのではなく充実度で、ゴールは距離ではなく死です。
どんな生き方をしようが、ゴールである死は必ずやってきます。
ところが、生まれてきて死ぬまで各々の人生のすべてに無駄というものはなく、無意味と思えることも苦しいことも悲しいことも、体験して終わることが生きる意味です。
その生きることに何の意味があるの?になると思いますが、魂は周りの人と比べるために生まれて来たのではなく、あくまでも魂の成長のために与えられた境遇をこなせば、それでOKということになります。
不運も不遇も辛苦も、はたまた生きる価値がないと思っていても、それが今世で生まれて来た貴重な目的であり体験でしかないのです。
ただ言えるのは。。いまの自分の境遇が唯一無二の体験者であり、この運命の主人公は自分でしかないということ。
よって、生きる意味など考えなくとも、生きるだけで目的をこなしていっているので、生きることに理由はありません。
否が応でも、いずれ輪廻転生して地上に戻って来るのですから。。
さいごに
私程度のものが触れる課題ではないかもしれませんが、ひとりでも参考になればという思いで書かせていただきました。
それでは、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>