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法律とカルマ(業)は全く別なもの

人間の世界において法律は人間社会限定のものであって、刑罰の有無はカルマ(業)に則さない全く別なものであり今世か来世にカルマ(業)という果報は背負うことになります。

 

はじめに

人間の社会では法律に反することなく罰せられなければ生きていくうえで問題のないことと認識しているようですが、それは地上にいるとき人間社会限定のものであってキッチリと行ないの清算は受けることになります。

 

懲役で罪を償いました死刑になりましたは、人間が人間を罰しただけで霊的な業というカルマは一切関係なく消えることはありません。

 

各々の境遇に違いがあるのもそのためで、偶然ではなく必然的に現世や過去世の行ないの結果が現在に反映しているに過ぎないのです。

 

それでは「法律とカルマ(業)の違い」について説明させていただきます。

 

法律とは人間の都合で作ったものでしかない

法律とは人間が社会生活を送るなかでモラルや規範を守るうえで必要なものです。

 

そうしたものがあるから社会の秩序が保たれているのですが、現在のように時代にそぐわない法律は人々の犯罪意識を希薄にさせてしまい、社会の秩序を乱すものが増えていくことになります。

 

実際にイジメ・誹謗中傷(言葉の暴力)虐待・性犯罪・特殊詐欺・殺人・外国人犯罪などといったものは法律の整備や新設が後手後手ということもあり犯罪は増加傾向なわけです。

 

もし国民の代表である政府要員(政治家)が世論を把握し真摯に向き合ってきたのならば、被害も少なからず抑えてこれたことでしょう。

 

しかし残念ながら、いまの国の代表たる主要な政治家は恵まれた家庭に育った世襲議員がほとんどだったりするので、世論や国民感情(生活)を察することが難しいと感じます。

 

驚くことに総理大臣をはじめ大臣クラスの殆どが世襲議員で、総理大臣においては歴代の総理大臣の約7割は世襲議員といった結果が続いています。

 

つまり政治団体の代表者が議員から親族に交代しても相続税や贈与税は非課税という法律を作っているので裕福なままであり、また子供の別の団体に「寄付」という形で資金を移したとしても税金は一切かからないことから、政治家という国民の代表になることが容易であるようです。

 

最近では、前首相の奥様(私人)が同様なことをされていましたね。

 

法律は国(政府要員)が変更したり新設することが可能であるにもかかわらず、愚策ばかりを前出ししてくる所以なわけです。

 

要するに法律というのは国(政府)が自分たちの都合の良いようにも作ることができることから、絶対的なカルマ(業)とは全く異なるものだということです。

 

もちろん、刑罪はそれに伴う罰であって業というカルマの清算には関係ないのですが・・・

 

 

いま政府与党の間では『緊急事態条項』という憲法の改正を目論んでいるわけですが、法の整備は棚上げ状態で最優先で法案を成立させようとしているのですね。

 

これは一部ですが、下記がそれです。

 

緊急事態条項の焦点は、権力分立を停止し法律ではなく政令(内閣が制定する命令)で民主主義の根幹をなす基本的人権を制限(人権の保障を停止)することが出来るものなどが入っています。

 

もっとわかりやすく言いますと。。。

 

戦争・内乱(デモ含む可能性あり)・大規模災害・疫病・テロなど国家の平和・独立・公衆衛生などを脅かすような緊急事態と判断されると政府が独裁して権限をもつ(独裁政権になる)ということです。

 

ナチスや北朝鮮のような感じでしょうか。。。

 

なんとなく大日本帝国憲法に逆戻りみたいな憲法改正案です。

 

基本的人権がなくなるばかりか国の予算も自由に使うことが出来ることも然り、国民の個人資産もどうなるか分からなくなります。

 

徴兵も戦争も可能になってしまうかもしれません。。。

 

このように法律というのは人間の都合で書き換えられていくのです。

 

刑罰はカルマの精算にあらず

法律で罰せられることがあっても基本的にカルマ(業)の精算になることは一切ありません。

 

前述しましたように、法律とは人間が作ったものであり罪を犯した人間が霊的根本である報いを受けない限りカルマ(業)は消えることなく今世か来世に訪れるものです。

 

懲役、死刑、書類送検すべてがそれに当たり僅かに救いがあるとすれば、刑に処された人が深く罪を反省して悪行の報いを受ける覚悟ができて初めて怨念の緩和がある程度です。

 

法律とカルマ(業)は異なるもの

前述しました人を殺したり傷付けたり騙したり人の道に外れた行ないは、必ずカルマ(業)の報いは受けることになります。

 

たとえそれが死刑であっても、罪人は死刑執行までの日を思い出し悶え苦しむのかもしれませんが、それは人間が下した罰であってカルマに関係ありません。

 

冤罪者は間違いなく救いの手が差し伸べられるので救われますが。。。

 

刑罰を逃れたものがいたとしても、漏れることなく因果の報いは訪れます。

 

 

罪人の話はこれまでしておきまして、法律に触れないことや運よく(?)犯罪者にならなくて済んだようなケースであっても、これから書きますカルマ(業)を背負うことになり必ず報いは訪れる人たちです。

 

誹謗中傷やイジメによって相手を傷付けたり自殺に追い込んだりした場合に、今世か来世で何らか違う形で報いを受けるか来世で逆の立場のような境遇に立たされることになります。

 

このケースでは因縁や怨念が絡むことが多いので、被害者側が生前は大人しくとも死後に強い念を抱いて攻撃してくるといった可能性が非常に高いものです。

 

悪い噂を流して人を困らせたり苦しめた場合に名誉棄損で訴えられなくとも、いずれ(今世来世問わず)孤立した人生を送ったり病を患うことが多々あります。

 

性欲を貪る行為つまり性犯罪・不倫・性異常などは色情因縁を持つものは、幾度生まれ変わっても異常な性欲を断ち切ることも難しければ通常の成仏者と同じ場所に身を置くことは難しくなります。

 

成仏者と同じ世界に身を置けないとは、そのようなもの(性異常者)ばかりが集まる世界に引き寄せられ、最初は性欲を貪って喜んでいるが飽きても相手が離してくれないのでいずれ苦痛に変わっていくといった状況に陥ります。

 

改心の度合いによるので永遠ではないですが、通常の成仏のようにはいきません。

 

この改心も根本から変わるものはいないので生まれ直しても同じ繰り返しをします。

 

色情因縁は強力なので来世での色情も更に強くなる可能性を秘めているため、今世ではたまたま不倫や女性を漁って事なきを得たとしましても来世で同じように渡り歩けることは稀なものとなるでしょう。

 

時代や国が変われば死罪となりうる可能性さえあるのです。

 

もちろん純粋な心からの不倫はこれに非ずですが、性欲を貪る(不倫を繰り返す、常に異性を漁る、性異常)というのは餓鬼(界)と同じレベルと考えてよいでしょう。

 

食欲が性欲に変わっただけなのですから。。。

 

世間では餓鬼って言っていますが、本当は何らかの理由で食べものや飲みものに在りつけなかった執着の強い念を持った霊が餓鬼たちなので彼らは救いようがあるのです。

 

色情因縁は己の性欲のために、人を裏切ったり欺いたり傷付けるといった人間として自己中心的で愚かな行ないを前提とすることが多いので慈悲はかけられないのです。

 

このようにして、霊的真理や因縁因果を見ていくことが大切なわけです。

 

さいごに

人間として生まれてくるというのは霊的な世界でいえば、輪廻という競争率の激しい世界をくぐり抜けて人生を歩むことができるのです。

 

生まれてきたことが偶然でもなければ望んでいなかったものでもありません。

 

すべては自分の意志で因縁因果の報いを精算するためであったり、霊的な修行の場として地上に降りてきて人生を過ごすのです。

 

法律や犯罪というのは人間として生きていくうえでの規範やルールに過ぎないことです。

 

 

それでは、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。m(_ _)m