先祖供養や悪行から苦しんでいる先祖を救うためにお金をかける人がいますが、お金というのはこの世の物質であり霊的な世界では無価値なもので先祖を救うことは微塵も叶いません。
はじめに
現世で良くないことがあると、先祖の行ないが悪いからだとか先祖が怒っているといった話を耳にしますが、これってどうなんだろう?
また、宗教や霊能者などから先祖が苦しんでいると聞かされて、見えなく知り得ないものを他人の言葉を鵜呑みにして信じることも可笑しなことなのです。
私たちが生きていくということは、良くも悪くも因縁因果が付き纏い自分や家族の行ないの結果から生じる報いしか受けることはありません。
もちろん、こうしたことは今世のことに限りませんので過去世からの報いの可能性も否めないわけです。
先祖が怒っている・・・放っておきましょう
先祖というと大切な存在ではあるのですが、先祖が怒っているからといって子孫に悪影響をもたらすものではありません。
もちろん、忘れ去られた先祖が少しは供養(思い出すこと)をして欲しいといった思いから、何らかアクションを起こすことは稀にあるかもしれません。
それは寂しさからであり、気付いてもらうためであっても酷いことはしません。
故に、先祖が怒っているといったことを宗教関係者や霊能者などから聞いても真に受けず、そう言われたなら先祖に思いを馳せるだけでよいのです。
先祖が苦しんでいる・・・救わなくて良い
故人が死後に苦しむことは、そのものたちの行ないの結果でしかありません。
原因になるもの悪縁になるものを作ることさえせずに、生前を悪行なく過ごしていれば何ら報いを受けることもなかったということです。
救わなくても良いというと疑問が湧くかもしれませんが、子孫が如何なることをしようとも悪行の報いは公平なので救うことは出来ないのです。
リード文にも書きましたが、宗教関係者や霊能者に多額のお金を積んだとしても人や団体に寄付したに過ぎず、微塵も先祖の救いにはなりません。
稀に宗教関係者が、何らかのお経を唱えれば悪行(悪いカルマ)の解消や軽減ができるようことを発信していますが、何を学んできたのか憐れみてしまいます。
よって、先祖の業は先祖自らが解決するしかないのです。
このようなことは、真理を理解すれば容易にわかることです。
さいごに
私たち各々の人生は因縁因果が絡んでいるものであり、死後に苦しもうが生まれ直して苦しもうが自分の行ないからしか生まれないのです。
先祖の行ないは先祖自身で報いを受けることで解消されるものであり、子孫であれ能力者であれ一切触れることが出来ない領域です。
この世限定の物質であるお金は霊的な世界では、無であり無価値そのものです。
それではこの辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>