死んだら無になるとか死後に生前の記憶は消えていくとか、様々な見解があるのも経験することがないので仕方のないことだと思います。人に憑依した霊的なものを通して得た経緯から真実をお伝えします。
はじめに
「死後も記憶は残る」で少し検索しましたが、人気がないのか経験がないのか、あまり同じような見解のものがありませんでした。
そこで。。誰かのためになれば良いので書いていくことにします。
なぜ死んだ人のことがわかる?
イトケンがブログを始めた当初は、自分が経験するぐらいだから、色んな人が同じような経験をしているものと思っていました。
ところがブログ開始から数年経っても、ネット上には同種の人がいないことに気付きます。
それは。。『人に憑依した、霊の世界の様々な存在と話してきたこと』でした。
見えない世界の存在や故人と話し、そうした内容から死後のことが少しでもわかる訳です。
自分のなかでは当たり前なことではありますが、これを見ている人に少しでも見識を深めてもらえればと思います。
死後直後から数百年前の記憶
先にお伝えしとかないといけない部分ですが、霊的なものに憑依されていたのは女性だったので、関わる故人は女性の霊が多かったです。
では、話を続けます。。
◇ 死後直後に現れた故人たちは、どうして死んだのかを話してくれました。
「夜中に赤信号渡っちゃって轢かれて死んだの」「風邪かと思って寝てたら、そのまま死んでしまって」など。。
いま思えば集まってきていた霊も、未練をもっていたり不慮の死の人が多かったようで、どこからともなく相当な数が来ていました。
これも統一して言えるのですが、話し方も生前のままなので雰囲気も異なります。
◇ 少し彷徨っていた若い故人は、未練から成仏できずにいるものもいました。
「ねぇ~、この手ちょうだい」「だって、手がなかったら彼に嫌われるから。。」
そのときも生前の思いを話してくれて、記憶が鮮明というのがわかります。
◇ 自殺して彷徨っていた故人は、死んでから数年が経っていましたが、勤務先や自殺動機や自殺場所まで明確に答えていました。
「名前は○○」「年齢は○○歳」「働いていたのは○○のラウンジ」「○○で首つり」「異性問題から自殺」など。
自殺場所については、後日に現地に行き、古びたビニール紐の断片は残っていました。
◇ 追記しなくても良いかもですが、当時5年前ぐらいに他界した祖母は、訛りの強い方言も私の呼び名も記憶も生前のままでした。
「○○やきぃ」「○○やけんな」「○○しちょる」「私の親族間での呼び名」など。
◇ 守護霊と思われる存在は、お亡くなりになられてから、数百年前にいた家族のことや当時の状況を鮮明に話してくれたことがありました。
詳しく書きたくないので伏せますが、この方からは現実世界のことや見えない世界の教訓など色々と学ばせて頂いた高尚な存在です。
と。。ここでお気づきになった人もいると思うのですが、普通に亡くなった故人もいましたが、彼らは彷徨っていないので数も少なめでした。
川(おそらく三途の川?)をつたってきた故人も居ましたし、子供を助けて欲しいと死後数十年経っても私に救いを求める故人(父)がいたり。。。
もう随分前の話になりますが、これらは記憶に残るリアルに体験したものです。
このようなことから、どんな死に方をしても生前の記憶は消えません。
死後も生前の記憶は色褪せない
いろいろな説がありますが、前項に記したものが偽りのない現実の様相です。
肉体があれば生前と変わらない雰囲気と会話が、人に憑依することによって再現することができます。
ですから、私たちも先に他界した人も記憶は褪せることなく残り、数十年どころか数百年経っても思い起こせるようです。
覚えていないのは肉体を纏った今だけで、死ねば過去世の記憶も甦るかもしれませんが、そこまでは残念ながら聞かなかった。
まさか、こうしてブログにすることなど微塵も考えてなかったので、流れのままに話していた感じで足りない部分は否めませんが。。
肉体や脳が魂の記憶を阻害していることを、このような体験から考えます。
つまり、脳みそがなくても、人間であったときの記憶は魂に刻まれているということです。
さいごに
こうしたものが現実なことであることを知っていただき、死んでも記憶は消えることなく大切な人のことも忘れることはありません。
自分が死んだあと、善いことも悪いことも記憶に残りますので、それが良きものとなるよう生きていかれたらと思います。
悪しきことをしたら、それは死後に後悔として残り続けることになりますので、生きているうちに改心されるほうがいいかもしれません。
それでは、このへんでおわります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>