神仏に関すること

稲荷神と眷属について

お稲荷さんとして日本人にもっとも親しまれてきた稲荷神である神様は、宇迦之御魂大神という存在であって眷属様がなのですね。そこで今回は稲荷神と特に眷属様にまつわることについて書いていきます。

 

はじめに

大きな神様はメインである総本社があって、別の場所(各地)に分社という形で同じ神様をほかの神社が祀っていたりします。

 

その分社とは、メインの本社の御祭神を勧請(分霊)して祀る神社のことで、本社の支配を受けない独立した神社として各方面で運営されています。

 

今回は、そのなかでも古くから多くの国民に親しまれてきた稲荷神(お稲荷さん)ついて、少しだけマニアックな部分について触れていきます。

 

稲荷神とは庶民の生活に密着した神様

これほどまでに、多くの庶民の生活に密着した神様は、他に例がないといわれるのが『稲荷神』という存在。

 

それは、どのようなことかというと。。。

 

稲荷神は、お祀りすることで大きな御利益はもとより、子々孫々まで御加護の御力が増し、多くの御利益を授けて下さるのです。

 

特段の御利益だけでなく、衣食住の守りを受け持たれるといった、庶民にとって一番身近な神様(神霊)です。

 

だいたい屋敷内や会社に祠を設けたりして祀られているのが、お稲荷さんというのも多かったものです。

 

いまでもあるのかわかりませんが、百貨店の屋上などに稲荷神を祀られていたのを見た記憶があります。

 

それほど、稲荷神の御利益や御加護はすごかったのですね。

 

そして。。。

 

お稲荷さんといえば、五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・安産・万病平癒・学業成就・子孫繁栄などとオールマイティな面をお持ちです。

 

と。。ここまでは、ごく普通に皆さんが知っている話ですね。

 

それでは、経験に基づく個人的な見解を交えて下記に続けます。

 

祈願成就は眷属あってのもの

なんかイメージ的なことをいえば、お稲荷さん=狐という感じに個人的に思ってしまいますが、稲荷神は宇迦之御魂大神(ウカノミタマノオオカミ)です。

 

つまり、稲荷神(お稲荷さん)は、狐でなく別の存在の神様です。

 

稲荷神がどのような存在かというのは、ほかの人が色々と書かれているので、当記事では割愛させていただいて進めます。

 

そして、稲荷神にお仕えする眷属様が『白狐』であって、神殿の規模などによってこの眷属様の数も各所様々に異なります。

 

ちょっと浮かんできたので書き記しますが、眷属様のなかにもランクがあって一の位から順に立ち位置がちがうようです。

 

つまり、同じ狐(眷属様)のなかにも、レベルの違いがあります。

 

前述しましたが、稲荷神といっても分社(分霊)が沢山あり、伏見稲荷の分社だけでも3万社を超えるといわれています。

 

それをすべて神様が聞き届けて、御利益を授けるのかというと少し違うのですね。

 

全国で多くの人が、お祀りや祈願をするなかで、その窓口になるのは眷属様であって内容や状況によっては眷属様が直接動かれます。

 

というか。。実際には眷属様が御尽力なさられるので願いが叶いやすいわけです。

 

眷属様の裁量で判断できない時は、神様にお伺いを立てて判断を仰ぎます。

 

眷属(狐さん)は修行の身

眷属が神様に仕えて色々と学ぶことも然り、民衆の祈願や守護などを通して正しい道に導くことも眷属の修行のひとつとなります。

 

願いを叶えたり守護することと、眷属の修行に何の意味があるのと思うかもしれませんが、『利他』を尽くすって相当なものです。

 

与えるさじ加減・先見・忍耐など、人間のようにただ甘やかして低俗な人格を築かぬようにしないとならないわけです。

 

そのほかにも、眷属としての修行はあると思いますが、そこはわかりません。

 

そして眷属様は修行の身ということから、神様のように完璧ではない部分があります。

 

ある部分。。人間的な面があるというのか、情けも荒い面もお持ちです。

 

御神体返納による問題

稲荷神を祀っていたが、代替わりや倒産などによって御神体を返納したり、荒廃するまで放置したり無作為に処分といったことがあります。

 

礼節を尽くして御神体を返納することは、当然に何ら問題はありません。

 

ところが、これまでお世話になってきたのに、荒廃するほど放置したり無作為に処分してしまうようなことは当然に災いを受けてしまいます。

 

でもね。。。これって、災いではなく当然の報いです。

 

よくあるのが、子孫による影響が出るでしょうか。

 

体調不良(身体の苦痛含む)や精神状態がおかしくなったり、不運が続くようなケース。

 

そういった人の特徴として、狐が憑いているとか狐が見えると言われるものです。

 

自分の意志では戻れない眷属たち

この記事のなかで一番わかって欲しいことです。

 

稲荷神をお祀りして作法通りに返納しますと問題ありませんが、何らかの事情で放置状態になったものは問題が起きやすいものです。

 

この放置状態が続くと、眷属様は自分の意志で稲荷神のもとへ戻ることができず、その土地その家系から離れられずにいます。

 

一般的なスピリチュアルな情報のなかにも、お稲荷さんに対して意思表示をハッキリしないといけないといわれるように。。。

 

縁を断つ場合には、事情をお伝えして礼節を尽くして、御理解いただかないといけない所以の話につながります。

 

それは、なぜかというと。。。

 

※眷属様は人間目線では計れないほど非常に義理堅く、道理を重視しますので一方的に離れることはされないのです。

 

人間みたいに、ダメだからと一方的に縁を切ってバイバイとはならないわけです。

 

こうしたことが眷属様が土地や家系から、離れられずにいるということにつながります。

 

放置状態または過去に祀っていたとも知らずとなると、お祀りもしなければ忘れられたまま歳月だけが過ぎていきます。

 

そうしますと、段々と眷属様の白狐は、毛並みが悪くなったり小さくなったり、少し異なった御姿になったりしてしまうのです。

 

御姿と同様に、気性も気位(きぐらい)も下がってしまうこともあります。

 

眷属様の願いは、早く稲荷神のもとへ戻りたいと一心に思うようになります。

 

すると。。。

 

稲荷神をお祀りしていた子孫に、災いとなってあらわれることになります。

 

眷属の様の気や念が体内に通ずると精神疾患を患ったり、意思表示が身体の一部に原因不明の痛みや障害が起きたりします。

 

でも、これは眷属様が「何とか分かってくれ」という強い気持ちの表われなんです。

 

何も知らなければ怖いということにもなりますが、本当は怖いものではありません。

 

こうしたケースの場合ですが、稲荷神のもとへ眷属様が帰りますと、影響を受けていた霊障のようなものは完全に消えます。

 

さいごに

まだまだ全国には、このような状態の眷属様がおられるように感じます。

 

今回の記事は、まだまだ未熟な当ブログの管理者の経験により得たことを書いてみました。

 

なんらか参考にしていただければ幸いに思います。

 

それでは、このへんで終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>