霊が見えたりする霊感と違って、霊能力を身に付けた人には試練のごとく霊能力が上がっていくことによって、邪魔といった能力を落とすチカラが働くことが世の常であります。

 

霊能力とは、一般の人間には成し得ない霊的な能力のことです。

たとえば、法力や神通力など霊的なチカラを使うことなどをいいます。

ここでは、普通の人には見えない何か(霊やオーラなど)が見える霊視を霊感といい、その霊視において能力の秀でた人のことは霊能者とよびます。

 

霊能力が上がれば流されやすくなるとは

霊感や霊能力の境界はさておき、何らかで霊能力を持ち合わせた人が、修行や行ないによって能力が上がろうとするとき、必ずといっていいほど邪魔が入ります。

 

邪魔とは、仏法を妨げたり修行の妨げをする悪魔のことを指します。

 

実際に霊能者の邪魔をするのは、悪魔であったり邪悪な霊が悪影響を与えてきます。

 

一般の人でも、人生でなにか良くなろうとするとき、問題なく順調に上がっていくよりも、途中で不運に見舞われたりすることと同じようなものです。

 

これが霊能力の邪魔になってきますと、ほとんどの場合で上がろうとする霊能者の弱い部分を揺り動かして、脱線させたり堕落させようとしてきます。

 

弱い部分とは、その大半は『欲』というものが絡みます。

 

どうして、霊能力が上がろうとするときに邪魔をするかですが、悪魔といった存在を排除(降魔)をする霊能者が増えては、彼らが一般人を堕落させる妨げになるからです。

 

ブッダの法を説くような僧侶や霊能者に多くの民衆が共感して、健全な人生と平和な社会を手に入れたり、その霊能力で悪魔などの存在が排除されては困るといったことがあります。

 

それよりも、殺伐とした欲にまみれた人間を多く作り、生まれて来た目的を失い暗黒の世にする目論見が悪魔にはあるのです。

 

いわゆる、能力のある霊能者が悪魔たちの対抗勢力になってしまうため、時間をかけて欲を刺激したり与えていって徐々に霊能者を堕落させるわけです。

 

このときに、神や仏は悪魔と戦ってくれないのかと疑問になると思いますが、過去に世界大戦や大きな紛争が起きてきたことで分かる通り、人間が知らないところで平和を提供してくれるものではありません。

 

神や仏と人間の関係は、気付きや導きによって人間自身が道を決めていくものです。

 

真の霊能力をもった人が減ると

現に、映像鑑賞といった娯楽やスポーツ観戦、またセックスといった快楽を用いることで、国民が政治に関心を向かせないようにする愚民化政策(3S政策)が成功している国が日本だったりもします。

 

メディア信仰率の高い国民は、それらの情報を鵜呑みにし右にも左にも洗脳できる愚かさをもっているため、世界情勢や国内の現実を知ることがありません。

 

このようにして、人々は暗黒の社会に身を置くようになっていきます。

 

治安の悪化も自然破壊も移民問題もすべては、国民の政治への無関心が巻き起こしている出来事なわけです。

 

まさしく現代は、神や仏に代わって悪魔が台頭している時代といえましょう。

 

黙ってても、神や仏が平和や平穏を取り戻してくれることはなく、人々の行ないを静観なさられておられる状況です。

 

個人として思いやりをもって健全に生き、時に一致団結して大きな障害に立ち向かうからこそ平和や幸福を得ることができるのです。

 

この世にあふれる、開運や御利益といった他力本願信仰が、如何に浅はかなものであることが理解できると思います。

 

真に霊能力のある霊能者や僧侶などが、遠回りにでも降りてきた真実を人々に伝え、法力を使って悪魔を排除していく勢力にならなくてはいけないのです。

 

ところが近年は、せっかく有能な霊能力をもった人たちが、ことごとく悪魔の甘い汁に流されて堕落の一途を辿っています。

 

こともあろうことか。。。霊能者の多くは自分の利益(欲)のために、せっせと鑑定や物品販売に手を染めたり、色欲に翻弄されるものまでおります。

 

さいごに

修験道など山伏スタイルの僧侶などが山に籠るのも、わからないこともありません。

 

俗世間に身を置いているということは、様々な誘惑にかられやすいですから。。

 

朱に染まれば赤くなるように、欲に火が付けば消化するのも大変です。

 

どの人間も霊能者も、すべての人が生涯未熟であり学びだと思います。

 

後悔と失敗を繰り返しながら、確固たる位置を築くものなのでしょう。

 

それでは、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>