大切で愛する子供が死んでしまったときの悲しさや苦しみや喪失感は本人にしか分からないものですが、どう向き合っていけばいいのか?について死後の世界を知るものからお伝えしたいことがあります。
はじめに
自分のお腹で育てた子供は何よりも愛おしく特別な存在だと感じます。
その愛する子供が、自分より先に旅立つ悲しみや喪失感は計り知れないものがあります。
しかし、何とか生きないとと思いつつ踏ん張っても、どう向き合っていけばいいのか分からないと思いますので、少しでも何らかの気付きになればと思い書かせて頂くことにしました。
お読みいただければ幸いに思います。
魂は永遠であることを知る
私たちの魂は肉体が朽ちても消えることはありません。
当ブログの管理者は、人に憑依した多くの霊とも接してきていることからも言えるのですが、輪廻転生があり天国(成仏)といわれる別世界も存在しています。
死んだとしても性格や嗜好も変わりませんので、死は生の延長と思って頂いてほぼ間違いのないものです。
ここで申したいのは、死んだら親子の縁も消えるのではなく死後も継続していくこと、愛があれば関係は続いていくことになります。
死後の再会について
子供が先に旅立ってしまっても、自分(親)が数十年後に生涯を終えたときに子供と再会することが叶います。
見えない世界で数十年も経っているのに、どうして探していいのか?ということになりますが、霊の世界は想念が中心になりますから人間世界の以心伝心というものが鋭敏になるため見つけやすくもなります。
もちろん、子供のほうから見つけてくれることもありますが。。。
死後の再会の手段も色々あるので心配することはご無用です。
ということで、死後の再会を果たすことは可能であるということ。
子供の死。。。どう向き合っていけばいい?
まず、お伝えしないといけないのは、子供が先に旅立ったとしても親である貴方や家族のことを見てくれているということです。
もちろん、子供が亡くなった悲しみや苦しみや喪失感は拭えるものではありませんので、泣いたり落ち込むことは自然のことですから、遠慮せずにいっぱい泣けば良いのです。
何年経とうが悲しいものは悲しいので、込み上げる感情は我慢することはありません。
しかしですよ。。。子供にとって唯一無二の存在である親ということも忘れてはいけません。
夢や希望を失くした親の姿を、天命が来るまで子供に見せていくのが良いのでしょうか?
また逆に子供との再会を希望に辛苦を乗り越えて、『頑張ったよ』って報告できる親になるのが良いのでしょうか?
子供のことを考えれば、後者がいいに決まっていますよね。
大したことが出来なくとも出来る範囲でいいので、いつ如何なる時も子供に自慢できる親でいてあげることは子供に対する愛情であり、安心を与え自分の死が親を苦しめていないことを分からせてあげることになります。
悲しく寂しいのは先立った子供も同じことなんですから。。。
子供の死を無駄にしてはいけません。
旅立った多くの子供が伝えたいこと
不慮の事故などで亡くなることもありますが、病気であれ多くの子供が伝えたいことは親の責任で亡くなってしまったのではないということです。
遺伝であれ、もっと早く気が付いてあげれば、方法を間違えなければ、自分がしっかりしていれば救えたかもしれないなんて思わないで欲しいのです。
こうしたケースが想像以上に多いのですが、亡くなった子供たちには分かってもらうための伝える手段がなく、気付いてもらうことが心残りにもなります。
『自分を責めないで。。。』
ボクたち私たちは違ったパターンであったら救われたのではなく、『天命なんだよ』ということを知って欲しいということなんです。
他責するほど、子供たちは愚かな心を持っていないのです。
人間の寿命は宿命であって、人間がどうこうしたところで救えるものではありません。
逆に、救えている命は寿命がまだで旅立ちの時期が来ていないだけに過ぎません。
別にこんなこと慰めるためにいるのではなく、現実でしかないからです。
さいごに
何の慰めにも救いにもならないかもしれませんが、現実をお伝えさせて頂きました。
必ず子供たちと再会する日が訪れますので、それまでに笑顔で人生を語れるようになれると良いかと思います。
それでは、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>
ジオラママ 様
ご返信ありがとうございます。
見えるだけが全てではないので、これからもお子様と一緒にお過ごし下さいね。
質問へのご回答ありがとうございます。娘はまだ喃語しか話せない赤ちゃんでしたが、意識は生前よりもハッキリするとお聞きして、娘の魂はきっと今私以上にたくさんのことが見え、わかっているのだろうなと感じました。
いつまでも私の大切な子供、家族の一員として成長をお祝いしていきたいと思います。ご助言ありがとうございます。
ジオラママ 様
こんにちは。
ご返信ありがとうございます。
早速ですが、ご質問にお答えさせていただきたいと思います。
>>近くにいてくれているであろう娘は生前の4ヶ月間の記憶をもった魂なので、娘が生前に嬉しかったことや娘の知っていることが反復された方が嬉しいのかなと思い、ヘアゴムを買いました。娘とふたりでお風呂に入っている時に歌っていた歌を毎日お風呂の中で歌っています。
➡骨壺にヘアゴムもいいですね。お歌も伝わっています。
>>これから先、今生きていたら◯歳になるな…と思う節目がたくさんあると思います。誕生日祝い、七五三、入園式など、現実にはありえない娘の成長に思いを馳せて、家族でお祝いしたり、その年齢の子が喜びそうなものをプレゼントしたりするよりも、生前の娘が喜んでいたことを日常の中で繰り返し行う方が娘の魂にとって良いのでしょうか?
➡前者の節目ごとに娘様の成長を祝い、思いを馳せてお祝いしたりプレゼントしてあげて下さい。意識は生前よりもシッカリしたものとなりますので喜んでくれることでしょう。もちろん赤ちゃんのままを日常のなかで繰り返すことも問題はありませんが、いつまでもジオラママ様の子供として成長をお祝いしてあげることは、何よりも嬉しいと思ってくれます。
イトケン様、長文のコメントを読んでいただき、そして返信も頂戴し、ありがとうございます。気配を感じるという一言、とても嬉しいお言葉です。時間はかかると思いますが、夫も私も、宿命を受け入れて今世を全うしたいです。
1件、質問をさせてください。
生後4ヶ月でこの世を去った娘の魂を思いながら過ごしていくにあたり、娘の年齢はずっと生後4ヶ月のままだと思って過ごして良いのでしょうか?
生前の娘が喜んでいたことは、授乳、お風呂、抱っこ、スキンシップ、おしゃべりなど、とてもシンプルなものばかりです。亡くなる数日前からは髪の毛を結んであげることができるようになったので、昨日息子たちと出掛けて、娘に似合いそうな可愛いヘアゴムをお土産に購入し、骨壷を包んでいる風呂敷に結んであげました。近くにいてくれているであろう娘は生前の4ヶ月間の記憶をもった魂なので、娘が生前に嬉しかったことや娘の知っていることが反復された方が嬉しいのかなと思い、ヘアゴムを買いました。娘とふたりでお風呂に入っている時に歌っていた歌を毎日お風呂の中で歌っています。
これから先、今生きていたら◯歳になるな…と思う節目がたくさんあると思います。誕生日祝い、七五三、入園式など、現実にはありえない娘の成長に思いを馳せて、家族でお祝いしたり、その年齢の子が喜びそうなものをプレゼントしたりするよりも、生前の娘が喜んでいたことを日常の中で繰り返し行う方が娘の魂にとって良いのでしょうか?
ジオラママ 様
はじめまして。
コメントありがとうございます。
当ブログの記事や返信の対応が、少しでもお役に立てたこと幸いに思います。
>>自分たちの選択ひとつひとつが娘の死に繋がったと思うと、自分の至らなさを許せない気持ちで胸が潰れそうになります。
➡いえ、日々色々なことがありますし、毎日すべて完璧にこなすことは生身の人間には無理です。まして、上にもお子様がいらっしゃって同じように育ててきた経験をお持ちなのにというのがあります。擁護しているつもりはありませんが、これが現実です。
>>きっとあの日に戻ったとしても、娘を育てていたらきっと同じように私たち親の育児上の不手際が原因で娘を失っていたのかもしれない…と思ってしまいます。
➡宿命は、誰であってもどうしても避けられるものではありません。私たちだって明日も同じように生きているか分かりませんし、誰にも気付かれぬまま朝冷たくなっているかもしれないのです。自責の念は消えることはないと思いますが、お伝えさせていただきました。
>>娘を火葬する前、娘に向かって「大好きだよ」「生まれて来てくれてありがとう」と言葉をかけると、そのたびに返事をするかのように娘の顔に太陽の光が差し込み、娘が笑っているようでした。その姿を見て、娘は大丈夫だ、と確信を持てたのがとても不思議だった
➡その確信は間違いないもののようです。娘様が反応してくれていたというのは、拝読させて頂いてましても気配からも伝わります。
勿体ない御言葉ありがとうございます。
何かご不明なことなどありましたら、いつでもお気軽にご連絡して下さいね。
先月末に生後4ヶ月でこの世を去ってしまった娘が今どこで何をしているのか知りたくて色々と調べていたところ、イトケン様のブログに辿り着きました。子供に関する全般のカテゴリの記事を全て拝読し、納骨はせず自宅供養でも問題ないこと、娘の魂がいつも私たちの近くにいるであろうこと、私たち親が魂となった後に問題なく再会できるであろうことなど、知りたかったことをピンポイントで知ることができ、このような状況下でも一筋の光が見えたような気がいたします。
日常生活をしている中では知り得ることのない死後の世界をこのようにわかりやすくまとめてくださっていること、そして、記事に対するコメントに細やかに返信をしてくださっていることに心より感謝申し上げます。
娘は朝起きたらうつぶせの状態で息がなく、冷たく、固くなっていました。亡くなる2日前に寝返りができるようになった笑顔の可愛い娘です。死因は不明とのことでしたが、寝ている間にうつ伏せになってしまい、それが原因で窒息したに違いないだろうということは、発見した娘の姿を見て明らかでした。それは、私たち親が防げたはずの事故であり、もっと生きられたはずである娘を死なせてしまったということだと思いました。
上に3歳と2歳の息子たちがおり、生活リズムが異なる上の子たちと娘を夜スムーズに寝かしつけるため、娘を別部屋に寝かせていました。この日からは同室で寝ようと決めていた日の前日のことでした。ベビーモニターがあるのに使っていませんでした。別部屋でも、娘が泣いたらすぐに分かって駆けつけてあげられるから大丈夫だと過信していました。自分たちの選択ひとつひとつが娘の死に繋がったと思うと、自分の至らなさを許せない気持ちで胸が潰れそうになります。もしもあの日に戻れたら…。でも、きっとあの日に戻ったとしても、娘を育てていたらきっと同じように私たち親の育児上の不手際が原因で娘を失っていたのかもしれない…と思ってしまいます。
イトケン様の言葉に、「親の責任で亡くなってしまったのではない」「天命だった」「自分を責めないで」という言葉がありました。当事者となると、夫も私もそれぞれ自分を責める気持ちを捨てるのは正直難しいです。でも、娘が今どういう気持ちでいて、何をしたら喜んでくれるのかという視点でこれから生活していけば良いのかなと思えるようになったのはとても大きなことです。
娘を火葬する前、娘に向かって「大好きだよ」「生まれて来てくれてありがとう」と言葉をかけると、そのたびに返事をするかのように娘の顔に太陽の光が差し込み、娘が笑っているようでした。その姿を見て、娘は大丈夫だ、と確信を持てたのがとても不思議だったのですが、イトケン様のブログを見て納得しました。たくさんの気づきを与えて下さり、ありがとうございます。
ココア 様
ご返信ありがとうございます。
お声掛け素敵ですね。
また、いつでもお気付きのことがありましたら、ご連絡して下さいね。
イトケン様、お忙しいなか、コメントに返信くださり本当にありがとうございます。歌の歌詞ですね…なにかきっとピンとくるものがありそうです。
これからも曲を聴かせてあげたいなあと感じたときには流してあげようと思います。
イトケン様からの返信を読ませていただいてから「生まれてきてくれたことが一番ありがたかったよ」と心の中で伝えました。
わたしも自分の気持ちを素直に表に出しにくい性格で、長男も似た部分があったように思いますが、その辺は生前から察してはいたので、「気持ちは受け取っているよ」とこれからも伝えていきます。イトケン様、本当にありがとうございます。
ココア 様
おはようございます。
こちらこそ、ありがとうございます。
>>その頃「たまには夢に出ておいでよ」と願っていたから、応えてくれたのかなあと思います。
➡そのようですね。
個人差がありますので、催促がないと姿を現しにくいこともあると感じます。
>>長男が「これ(スピーカー)と同じものがウチにあるかなあ?」
「音楽聞けたら一日中退屈しないで過ごせるかなって思ってさ」
とわたしに言いました。
これは「音楽が聞きたい」という事をわたしに伝えて来たという解釈で良いのでしょうか?
➡その解釈で間違っていません。
それと音楽の歌詞に彼のココア様への気持ちを綴ったものが入っている感じがしますので意識してみて下さい。
それはココア様が無意識に再生するもので問題ありませんが、直感で察知する感じでしょうか。。。
>>それからは毎日ではないのですが、仏前で彼のスマホに入っていたプレイリストの曲を流したり、わたしが車を運転するときは長男が好きだった曲を流しています。こういう対応で良いのでしょうか?
➡全然問題ありません。思ったときに流してあげれば良いです。
>>長男は成仏の道に向かっているのかな…まだまだこちらの事が気になっているのかな…という事が気になっています。
それを知る方法とかサインなどはあるのでしょうか?
➡彼は本当に気遣いのできる、少しシャイな面をもっていたのかなって感じます。
ココア様のことに対して感謝しきれないようですよ。
ご不明な点などありましたら、いつでもご連絡して下さいね。
イトケン様
いつもありがとうございます。
お聞きしてみたいことがあり、またコメントさせていただきました。
少し前のことですが、亡くなった長男が夢に出てきました。
その頃「たまには夢に出ておいでよ」と願っていたから、応えてくれたのかなあと思います。
夢の場面は河川敷にある運動場のようなところで、人がたくさんいてスピーカーから音楽が流れていました。
長男が「これ(スピーカー)と同じものがウチにあるかなあ?」
「音楽聞けたら一日中退屈しないで過ごせるかなって思ってさ」
とわたしに言いました。
これは「音楽が聞きたい」という事をわたしに伝えて来たという解釈で良いのでしょうか?
それからは毎日ではないのですが、仏前で彼のスマホに入っていたプレイリストの曲を流したり、わたしが車を運転するときは長男が好きだった曲を流しています。
こういう対応で良いのでしょうか?
また、亡くなって半年になろうとしています。
長男は成仏の道に向かっているのかな…まだまだこちらの事が気になっているのかな…という事が気になっています。
それを知る方法とかサインなどはあるのでしょうか?
お忙しいなか、大変申し訳ありません。
差し支えなければ教えていただけると幸いです。
イトケン様、お忙しい中お返事いただきありがとうございました!
お障りなど無いとのこと、断言いただき本当に良かったです。
普段なら気に留めない言葉でも、息子を亡くした直後だったのもありどこかでずっと引っかかっていたのでした。
これからもブログを読ませていただきます!
ありがとうございました。
ココア 様
こんにちは。
返信が遅くなり申し訳ありません。
気になられることについて、お答えさせていただきます。
》》はつらつとして過ごし、充実した毎日を送っていた若い命が断たれるほどの「お障り」というものが果たして存在するものなのでしょうか…?
➡️仰られる通りです。
「お障り」というのは存在しません。人が亡くなれば何かの障りがあったなどと、こじつけもいいところです。
もちろん不可思議なことは無きにしも非ずですが、それには歴然とした理由があるものですから、ご心配なさられなくても大丈夫です。
念のため探りを入れての回答です。
何かありましたら、お気軽にご連絡して下さいね。
イトケン様
息子を亡くして2ヶ月と少し、
その後の主人の態度。関係も含めて息子の死にはそういう意味もあったのかなぁ…
とか考える事があって…
人生に影響を与えたり考えさせられる。
その通りですね…
お返事ありがとうございました。
イトケン様
お返事ありがとうございます!
迷いましたがお聞きしたい事があります。
ある方に、亡くなった長男は何かのお障りにあったように感じる、と言われたのが心に引っかかっています。
わたしにはもちろん心あたりもなく、その後イトケン様のブログに出会いコメントいただいた事で、どちらにしても(障りがあってもなくても)天命だったのだ、と思うようになりました。
しかし、言われた言葉というのはなかなか消えないものですね…
はつらつとして過ごし、充実した毎日を送っていた若い命が断たれるほどの「お障り」というものが果たして存在するものなのでしょうか…?
またロロママ様のコメントを読ませていただき、息子の事はわたしやその他の家族にも意味深いものなのだと改めて思いました。
ありがとうございます。
ロロママ 様
おはようございます。
》》それぞれ使命や意味があって、子供達は旅立っていくと思うのですが。。。その1つとして、両親が離婚をするきっかけってあると思いますか?
➡️子供の旅立ちがキッカケで離婚ということは、あると思います。それは窮地に立ったときにパートナーの愛や心の在り方がみえる感じではないでしょうか。。。
愛する者の旅立ちは必ず意味のあるものであって、人生に影響を与えたり考えさせられることにもなります。
ココア 様
お久しぶりです。
こちらこそ、ありがとうございます。
何かありましたら、いつでもご連絡して下さいね。
イトケン様
こんばんは。いつもお世話になっております。
唐突で良くない質問かもしれませんが、お答えいただけると幸いです。
それぞれ使命や意味があって、子供達は旅立っていくと思うのですが
その1つとして、両親が離婚をするきっかけってあると思いますか?
こんな理由で子供の大切な命がなくなってしまうのはあってはいけないと思うのですが、気になってしまいまして。
イトケン様、以前にもコメントさせていただきましたココアと申します。
息子を亡くし、死にまつわる事、魂の事などについて書かれた様々な書籍や発信を読みました。
あまりに様々な言説があり、何を信じてよいのか…というところでした。
発信する人により供養の仕方や考え方も様々あり、混乱することもあります。
しかしイトケン様のブログを読ませていただいたり、以前コメントにご返信をいただいた事でとても心が救われました。
まだまだ毎日涙は出るし、落ち込む事もあります。20代で亡くなった息子ですから悔やまれる事は多々ありますが、最終的にはそれは宿命であり致し方なく、わたしの命も宿命に委ねるしかないとイトケン様のブログから学べたことは本当に救いになっています。
いつかあの世に行くときが来て、息子に会えるという事は心の拠り所になっています。
いつもありがとうございます。