神仏に関すること

神仏が見えて話せる人ほど信じてはいけない

スピリチュアルな世界には神仏が見えてをしているブログなどが多くありますが、神仏姿が見える人の話を安易に信じてはいけない理由を説明させていただこうと思います。

 

はじめに

スピリチュアルブログの世界では、有名ブロガーのSさんの登場によって多くのブログで神仏などが出てきて話せる人が増えたといわれています。

 

これは、どういうことを意味するのかといえば、Sさんを模倣する人が湧いてきたといって過言ではないということです。

 

スピリチュアルに限らずブログの世界は、人気のある他者(検索上位)のものを真似て書けばそれなりにアクセスがとれて収入など何らかのメリットを得られるために、模倣する人が後を絶たないわけです。

 

決して模倣することがいけないというつもりはありませんが、スピリチュアルにおいての模倣は誤った認識を多くの人に植え付けてしまう恐れがあり、現実にそうしたことがまかり通ってしまっています。

 

そこで。。。超有名ブロガーのSさんのことは別として、神仏の姿が見えて話せるといった人ほど信じてはいけない確固とした理由があることを下記にて説明していきたいと思います。

 

神仏に変化(へんげ)したものを見誤る

一般的に神仏がどのような姿をしているのかというと、その存在の絵画や仏像を思い浮かべる人がほとんどだと思います。

 

その姿や格好が間違っているか否かは置いておきまして、この項では人間特有の過ちを犯しやすい盲点があることを知って頂きたいと思います。

 

スピリチュアルな世界の真実を本当に知らない人が多すぎて驚きますが、見えない世界には姿や格好を変化(へんげ)させることができる邪悪な霊たちが無数にいるのです。

 

そんな筈はないと思うかもしれませんが、すれば身近な故人が見えたり夢に出てきた時にナゼ元気な姿になっていることが多いのでしょう?

 

高齢者などは他界した後に少し若返って出てきたり、病でやつれてしまったはずなのに元気な時の姿だったりするほうが一般的です。

 

こうしたことに違和感を感じない方が不思議ともいえるのです。

 

一般の故人でさえ僅かな変化を意識もせずに簡単に出来るなかで、霊の世界に長くいるものたちにとって神仏などに変化することは容易であると考える方が自然というものです。

 

邪悪な霊たちや魔にとって、霊能者であれ人間を騙すことは朝飯前なわけです。

 

まさか神仏に似せたものが、この世に存在するとは思いもしないことでしょう。

 

これが見えない世界の現実というものです。

 

神仏の姿をした邪悪な霊たちの手口

前項で説明しましたように、目に見えるものや神仏に変化(へんげ)したものを疑うことなく信じきってしまうのが人間です。

 

そうした存在は言葉巧みなうえに人間を見透かしているので、より効率良く多くの人を騙そうとすることから、影響力のある人気の霊能者の前に現れることが非常に多いわけです。

 

そういった霊能者本人を信じ込ませ甘い汁を吸わせながら、一般の人に吹聴させる手口が一般的なものでしょう。

 

神仏の姿に似せたものの手口は、最初は正しいことを伝えたり予見した出来事などを知らしめたりして完全に信じ込ませてから、徐々に過ちを練り込んできます。

 

人間でいう詐欺師と同じような感じで、完全に信じ込ませてから手の平を返してくるので疑うことなく騙されていきます。

 

もちろん、そういった霊能者を信じた人たちも同様に誤った認識を身に着けていくのです。

 

このようにして霊能者を取り込み、その霊能者を信じ切った読者やファンに広げていく構図が一般的な邪悪な霊や魔の手口といったところでしょう。

 

神仏を前出しした話を信じることは危険

冒頭にも書きましたが、スピリチュアルなブログや書籍には皆さんが想像する以上に霊能者擬き(もどき)や魔に取り込まれた人が存在しています。

 

彼らに共通していることは、神仏という存在が人間と同じように会話をしていることにあります。

 

奇(く)しくも人間の魂より次元の高い存在とですよ。。。未浄化霊や先祖霊と話をするのとは訳がまったく違うわけで、これら話すことが現実であれば発信している人も波動が高くなければ神仏と話すことなんて到底無理というものです。

 

もう一つは、先祖や親類が熱心に神仏を信仰していて恩恵を受けたかのいずれかになります。

 

ところが邪悪な霊や魔といった存在はハードルが低く、人間に合わせやすい波動のために人間っぽく会話することが出来ます。

 

人によりますが、これらが幻聴にもなり得ることもありますが。。。

 

このように姿も間違いなく神仏と話していると思っていたのに、実は神仏ではなく邪悪な存在であったということはよくあります。

 

もちろん、人間の心を見透かし先見の明も持ち合わせているので見破ることは難しく、いかに清浄というか真理に沿った生き方をするしか方向修正の道はありません。

 

こうしたことから神仏を前出しした情報は半信半疑で捉え、読者自身が都度正しいのか否かを判断していくことが必要になってきます。

 

あとはスピリチュアルの世界に多く存在する、妄想・虚言・引用といった形で発信している人が山ほどいるということです。

 

神仏からの教え

教訓として。。。

 

神仏が名乗ることは、例外を除き殆どありません。

 

名乗る必要がないから、名乗らないのです。

 

人間は愚かな生き物なので、神仏の姿をしていたり神仏名を名乗ってしまえば表面的なものを鵜呑みして信じ込んでしまうからです。

 

その見た目や名前に惑わさられることなく、言っていることが正しいか間違っているかを霊能者もしくは人間自身が判断していくことが大切ということです。

 

おそらく、こうした教えを授かった霊能者などは僅かなことでしょう。

 

そのうえ神仏は人間の成長のために答えはくれませんので、会話の内容や単語の真意を自分で考えて答えを出していかないといけないものです。

 

答えを頂いていると感じても、授かる言葉の多くはヒントといって間違いありません。

 

こんなことも知らない霊能者ばかりというのも呆れてしまいます。

 

さいごに

いまの時代に大切なことは神仏云々というよりも、私たち日本の国が大変な方向に向かっている現実に気付いて欲しいと願います。

 

増税につぐ増税もキツいものですが、その先にある特定の人物たちが企んでいる争点は簡単に私たちの幸運を奪い去っていくものであることに注視すべきです。

 

大きな人災ほど足音を立てずにジワジワと忍び寄り、気付いた時には取り返しのつかない事態に巻き込まれるということを歴史からも学んで頂きたいと思います。

 

それでは、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>