先祖供養や供養また仏壇などにロウソクを使うことに危険もあるため近年は電子ロウソクといった電気のものを使う家庭も増えていますが、電子ロウソクを供養や仏壇に使って問題ないことについて説明させていただきます。
もともと供養や仏壇に使うロウソクの意味、ブッダの教え(真理)にある法灯明・自灯明からきています。
それは暗闇のなかで明かりを灯すように、自分自身を頼りにし真理を頼りに生きることから始まっています。
これがブッダ(仏陀)が死ぬ寸前に弟子に伝えた言葉であり、ブッダの亡き後に弟子たちは何を頼りに生きていっていいのか分からない問いに答えたものです。
これが法灯明であり自灯明という教えの原点で、ロウソクになぞられたものが少し解釈が異なって現代に受け継がれています。
もちろん先祖や故人の供養と異なり、神仏に対して心の繋がりや真理に忠誠を表す意味でロウソクというものが法灯明・自灯明として使われていたのです。
たまにロウソクの灯(ともしび)が『あの世とこの世の架け橋』や『故人や先祖が迷わず遺族や子孫のもとに帰って来れるように』と言われているようですが、本来のロウソクの意味合いが違いますし現代の言い伝えは正しいものではありません。
なぜならば、そういった架け橋がなくとも故人の霊は思念によって帰ってきますし迷うこともないのですが、なぜそういうことになるのでしょう。。。
たしかに『火』は陰陽五行のなかでも万物に共通する最たるものであり、暗闇に明かりを灯す(ともす)大切な役割を担って(になって)いますが、肉体を纏った人間の解釈とは異なるものです。
話しが逸れましたが、ロウソクというものでなければ故人や先祖にとって不都合があるのかといえば全くそのようなことはなく、文明の進歩に合わせた電子ロウソクであっても何ら問題のあるものでもありません。
これまで供養やロウソクによってボヤや火災も現実に起きていることから、時代に合わせたものを使うことは賢明な選択と言えるでしょう。
本来の火を使うロウソクであれば燃焼時間を気にしたり外出に支障が出たりしますが、電子ロウソクだと利点も多いことから是非活用されることをおススメします。
これまで時代の変化とともに生活様式が変わってきているように、何事も時代に変化に合わせた生き方をしていくべきで供養も例外的なものではないのです。
故人や先祖に対する供養について、いつの時代も『供養する人の心が大切』であって故人や先祖の立場に立った目線で考えていただければ分かると思います。
今回は基本非公開にしているコメントからの質問にお答えさせて頂く形で、記事にて回答させていただきました。
それでは、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>