神仏に関すること

神仏との距離感には個人差があるということ

神仏との距離感というのは各々によって個人差があるもので、スピリチュアルなブログや書籍などに書いていることが自分に合うものとは限りません。この神仏との距離感を知らないと当然ながら失礼にあたることもあり祈願や御利益に影響を与えかねません。

 

神仏との距離感とは

あまり意識する人は少ないと思うのですが、人間関係と同様神仏との距離感にも個人差があり人によって違いがあります。

この神仏との距離感というもの、自分の代で初めて縁があったものなのか、御先祖から関係しているのものなのか、また過去世からの繋がりなどによって違いが生まれるのです。

これらは案外知られていないことで、発信している人であっても分からない部分かもしれません。

もちろん関係性が祈願や御利益や守護などに対して個人差が出るものではありませんが、軽率な態度や考えといったものは間違いなく影響してしまいます。

 

スピリチュアルなことを発信している人のなかには、神仏のことを親しい友だちみたいに説明している人を散見しますが、あまり関心するものとはいえません。

なぜならば神仏との関係やご縁が確信出来たとしても、たとえ自分はそうであっても読者が同じような関係性ではないということです。

もちろん、このようなことを発信している人が本物の霊能者ばかりではないのは周知の通りですが。。。

 

距離感がわからなければ礼節を尽くすべし

神仏との距離感というのは、まったくの無縁からの始まりなのか既存で何らかの縁があったのか確信はもてないものです。

ネット上には神仏との交流についてのことが多く書かれていますが、真実なのか否かは文面などからは判断できないと思います。

事実で言えるのは、仏様に仕える僧侶や行者であれ日々真言やお経を唱え供物を供えたり修行をしているにも関わらず礼節を欠かすことなく過ごされているわけで、一般の人々が仏様を軽視して願いを成就させようなどとは変な話です。

僧侶や行者といった人たちと一般の人とは当然違いますが、法力や呪術など前者に許されて後者に許されないことがあったり、仏の道を究めるために一般の人にはない仏様の厳しさを知ることにもなるのです。

このようなことから祈願や御利益を授かりたいのであれば、まず礼節を欠かしては成就させることは難しくなると考える方が適切といえます。

 

企業のなかには職場の環境を変えるために上司を「さん付け」で呼んだりすることを推奨していたりしますが、それ自体に問題があると個人的には思いません。

もともと、同じ肉体を持った人間であり地位や名誉が付いただけのことなので、それを議論するつもりもなく批評することにも関心はありません。

しかし、神仏に対して「さん付け」で呼ぶことにより距離感や礼節に影響が出やすいものと感じますので、次元の違う存在に対しては気を付けた方が賢明であるということです。

もちろん、神仏を「さん付け」で呼ぼうが「ちゃん付け」で呼ぼうが御怒りになられるものではありませんし、それ自体は重視するものではありません。

もし自分が目上の立場で、下のものから何とお呼びしたら良いかと問われたときに、「君に任せる」とか「○○さんでいいよ」となるように、丁寧に呼べとは普通になりませんよね。

それが神仏ともなれば、人々の無知なところを大らかに静観されるだけです。

 

神様は一種独特で、人物神(様々な鎮魂のためもあり)・自然神・動物神と様々ですから、そのあたりも違いはあると思いますので、各々での判断が必要です。

仏様について言えるのは、決して偉ぶらない存在であり人間が思う以上に礼儀正しく清浄であり完璧といって良いほどの存在ですが、これも階層によって多少の違いがあります。

 

願いが叶いやすいとか御利益を授かりやすいと言われるような仏様というのは、一説には人間に近い存在であるといわれているために、反面に厳しさを持っていることが多いものです。

この厳しさは一般の人が行者みたいな真似をして軽率な行動をとると、最悪は命を取られかねない存在であるということ。

一般的の人が行者の真似事をすることはないと思うので怖がることはありませんが、礼節を欠くと祈願や御利益は授けて頂けません。

一生懸命に礼節を尽くし祈願や御利益が叶った途端に知らぬ顔をする人もいますが、人によっては報いが発生すると思った方がよろしいかと思います。

ご存じの人も多いと思いますが、祈願や御利益が叶いやすい仏様というのは天部尊です。

この天部尊で有名なところでいいますと、聖天(歓喜天)様・梵天様・帝釈天様・毘沙門天様・大黒天様・弁財天様・吉祥天様・鬼子母神様などがおられます。

そのほかにも仏様には如来様や菩薩様や明王様といった諸尊がおられ、その諸尊に多くの眷属様がお仕えになられたり守護されていたりするわけです。

その眷属様などの方々を差し置いて、気安く接するのも如何なものかということにもなります。

 

何事も「親しきなかにも礼儀あり」なわけですが、根本的に呼び方がどうというよりも心から礼節を尽くしていれば良いのであって、どうしても無意識に距離感を縮めてしまうような態度や発言といったものは、神仏の前では慎まれた方が最善であろうと思います。

 

さいごに

神仏の接し方は各々自由なものですが、多くの人が感謝だけをするというよりも”祈願や御利益”などを期待するであろうと思い参考として書いてみました。

神仏のことを友達の如く呼ぶような虚言者がいますが、このような人を神仏は相手にされませんので、調子に乗って発信しても問題ないわけですから見極めは必要かもしれませんね。

それよりも自分が考えて正しいと思うものを参考にすればよいことで、正誤は別として良かれ悪かれ自己の判断が招いたことになりますから、現在の自分の段階に合ったものを信じれば良いと思います。

 

それでは、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>

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