自殺

希死念慮と過去世や霊的な影響について

私は心療内科の医師ではないので希死念慮いったものを精神医学的な見解については説明できませんが、これらの希死念慮過去世や霊的なものと関係することも少なくないといった影響について説明させていただきます。

希死念慮と霊的な関係

「死にたい」という意識や願望が抜けないことに対して、一般的には心療内科に行って話を聞いてもらったりアドバイスを受けたり、処方してもらった薬を飲んで改善を目指すことが一般的なものと思います。

しかし心療内科などでカウンセリングを受けても、一向に改善しない人も少なくないように感じます。

それよりも薬の作用によって症状を緩和させたりしているようですが、これも根本の治療として効果が望めるかは個人差が大きいと感じます。

そこで、このようなことが外的な要因として霊的な存在の責任にすることに理解に苦しむ人もいるかもしれませんが、現実として霊的な影響というものを受けている人というのもゼロではないのも事実です。

では、なぜ霊的なものが希死念慮と関係するかというと、現世では鬱など精神的に弱ったときに同じような波長のものが取り憑いて「死にたい」といった願望が消えなかったり、過去世からの絡みで怨念霊や因縁霊が影響したりすることがあります。

この怨念霊や因縁霊が影響している場合ですが、恨みの念から現世で生かすことを拒むようにもっていき、酷い場合は希死念慮をもたなくとも家族や親族が自殺するといった連鎖が起こることもあります。

 

希死念慮が過去世での影響

人というのは、輪廻転生といって何度も生まれ変わっています。

生まれ変わるたびに様々な境遇を経験し、時に幸福と思える生涯を過ごしたり、不幸と嘆くような生涯などを経験していて、何回生まれ直しても不幸の連続ということはありません。

しかし今世がすべてと思い込みやすい人間の環境では、不幸のどん底や堪えられないほどの苦しみから、人生のリセット(自殺)を図ったり、死ねば苦しみや不幸から逃れることが出来ると思ってしまうようです。

ところが現実は死んだつもりが、肉体こそ無くても魂(霊体)は生きていることに驚き後悔していくのです。

そして長い長い孤独や苦しみから解放されて成仏し霊の世界で過ごしていくなかで、今度生まれたら「もう一度同じような境遇を乗り越えよう」と自らが望むのです。

なぜ、わざわざ同じような境遇を望むのか・・・そんなことを望まなくても幸せな境遇を選択すれば良いだろうと思うでしょうが、これは霊の世界を経験して頂ければわかると思うのですが、誰もが幸せな人生を過ごすためだけに再生はしないからです。

それは人間の世界は長く生きて100年であり霊の世界は無限であることから、霊的な成長を望む魂としては人間という世界での修行が大きな成長の場であるからです。

しかし何度生まれ変わっても成長せずに途中で人生を諦めたりすると大きな後悔になり、そのハードルを乗り越えないと霊として望む境涯を味わえないわけです。

霊の世界に戻ったときにこそ成長して安寧なときを過ごしたいと願うものです。

[安寧=穏やかで平和や安泰・不安などない]

霊になれば肉体がないので生老病死といったものがない分、働くことも金銭に悩むことも食べることも寝ることも病気で苦しむことも死ぬことの不安もない安寧な世界であり、肉体を纏った人間の生活が、いかに醜く鈍重で生きにくい世界かということを早い時期に認識します。

話がだいぶ逸れてしまいましたが、霊の世界に戻ったときに前世で遂げることが出来なかった試練を、今世で再びチャレンジしようとすることが影響していることがあります。

 

希死念慮を軽減させるには・・・

ズバリ申しますと、自死を選択したからといって今の状況が改善されたり救われるものではないということです。

それは、これまでに書いてきましたとおり、死というものは肉体がなくなるだけのもの。

魂が残るので、思念も残り辛苦も絶望感など諦めの気持ちは継続するということ。

希死念慮というものが、誰も生まれながらにもってるものではないということです。

各々に個人差はあっても、大体は家族から影響を受けたり学校や職場といった人を介して発症しやすいものと考えますが、過去世からの越えるべく今世での最大の目的であることを理解すべき。

周りと自分を比較する必要もないので、一切比較しないこと。

自分のマイナス部分を感じるならば、必ず違う部分にプラスなものがあるもの。

上記のことを理解しても霊的な影響を受けていると考えられるときは、おそらく個人では解決しにくいものであることが多いので、信頼できるお寺や霊能者に相談する。

 

さいごに

当ブログに相談をいただくなかにも、「希死念慮」が消えないといったケースもありますので、説明不足な部分もあると思いますが記事にさせていただきました。

死にたくないのに消えない念慮や思念といった人の少しでも参考になれば幸いです。

 

では、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。<(_ _)>

POSTED COMMENT

  1. イトケン より:

    のばら様、こんばんは。
    コメントありがとうございます。
    たしかに、私も可能であれば苦難や辛苦は避けたいと思いますが仕方ないですね。
    「禍福は糾える縄の如し」と仰られる通りで、人間という長いようで短い期間に山や谷の両方を経験していく感じですね。本当に色々な人生の波を乗り越えていくことでミッションのクリアをして、堪えたり頑張った分は何らかのかたちで来世に生きてきます。地位や名誉や財産などは霊的な世界では価値のないもので来世には一切反映されませんが、クリアしたミッションなど心や学び、身につけたものなどは来世に役立つものですから、何事も無駄ではないということにもなります。

  2. のばら より:

    イトケンさん、こんばんは。
    禍福は糾える縄の如しと言いますが、幸せだなぁと
    思う事も自分なりに辛いなぁと思う事もあります。
    ただ、イトケンさんの記事に出会い自分にとってキツい時に、これも私の人生の修行と思う事が少しは出来るようになったように思います。
    今を乗り越えて人間生活?人生を終えて霊に還る時、
    ひとつミッションをクリアしているかな?などと考えています。
    ただ、世間で言うほどの死ぬほどの事柄ではないから!と言われたらそれまでですが・・
    それでも人間として生きている間、やっぱりいくつも
    の苦難は味わいたくないのは本音です。

  3. イトケン より:

    ゆ 様

    コメントありがとうございます。
    ブログをお読み下さり感想までいただけて、とても嬉しく思います。不定期更新ですが、今後ともよろしくお願いいたします。

  4. より:

    今年初めてこちらのブログにたどり着き読ませていただきました。対して苦労もしていないのに死にたいと思うことが多く、死んでも後悔するだけだよと教えていただいたおかげで家族につらい思いをさせずにすんでいると思います。これからも読み続けようと思います。感謝の気持ちを伝えたくてコメントさせていただきました。ありがとうございます。

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