霊・霊障・魔系

魔は存在する

この世はすべて表裏一体であり、善なるものがいれば悪がいるように普通にそして身近に魔は存在しているものです。魔とは人々が間違った思考や方向に進むべく手招きをしている存在であり社会の悪化や人々の不幸を支配していくものです。

 

はじめに

当ブログの作者として魔の存在は明確に認識していましたが、見えない世界の存在のなかには認識されたり公に晒されることを嫌うものが少なくありません。

 

こうしたものは善なる神仏のなかにもいえることなのです。

 

そのなかに魔というものもいて、ざっと「魔」や「魔 存在」でネット検索しても魔について説明しているものがスグに出てこないことでお分かりいただけることと思います。

 

これまで「魔」というものについて書こうとも思いましたが、公にするということはリスクを伴う可能性が拭いきれなかったために記事にしてきませんでした。

 

と申しますのは。。。第三者に憑依して当方にとある神仏との関係を断つ方がよいと諭してきたり、眼精疲労のキツい頭痛や暴言ともとれる言動、目的意識を逸らされるような邪魔などを体験してきたからです。

 

魔の支配を邪魔をするものを排除しようとする力は強く、魔が正面から来ることよりも現世の人間を操って災いを吹っかけてくることのほうが多い感じがします。

 

しかし魔の関与によって今般の社会情勢・日本の先行き不安(出生率低下に伴う人口減少や民族の衰退など)・生きる希望を削がれてしまった人々のことを思えば、少しでも魔について知っていただくことが必要と判断しました。

 

それでは魔について下記にて項目別に説明させていただきます。

(書ききれない場合は、後日の記事にて掲載いたします。)

 

魔とは、どういうもの?

簡単にいえば、「魔とは神仏と真逆の存在」です。

 

リード文でも触れましたが、この世は表裏一体(※)ゆえに人々を御救い下さる神仏がいれば陥れて不幸にしようとするものが魔というものです。

 

この魔というもの、人々に常に付き纏い(まとい)欲や心のスキを狙っていたり、上がろうとするものを引きずり下ろし、善なる考えをするものの邪魔をしたり悪しき流れにもっていこうとします。

 

幸せの邪魔をすることだって無きにしも非ずといったところでしょうか。。。

 

こうした部分では、以前の記事の「邪魔が入るという意味」と同じく魔が影響していることがよくあります。リンク邪魔が入るという意味

 

 

魔とは人々の幸福を嫌い、個人も然り荒んだ社会に浸食せしめんとしようとするものたちのことをいいます。

 

なぜ、そんな悪しき考えをするものがいるのか疑問になる人もいると思いますが、逆になぜ人々を救おうとするものがいるのかということと同じです。

 

つまりは、相反するものが必ず存在しバランスを保っているのですが、残念ながら現代は魔の勢力が勝っている時代になってしまいました。

 

 

(※)表裏一体(ひょうりいったい)とは、この世はすべて相反するもの(表と裏)が密接に一つになって切り離せないもののことをいいます。

 

さらにわかりやすくいえば、陰と陽・善と悪・長所と短所・成功と失敗・楽と苦・始まりと終わりなどが表裏一体といわれるものです。

 

たとえば世の中にいい人ばかりだとそれが当たり前になり、多くの人が日々太陽の恩恵すら感謝しないのと同じことになるように、表裏一体は人間にとって欠かせないものだったりするのです。

 

魔とは巧妙な存在

魔は一般的に見えない人々には悟られないように近づいていたり、霊視が出来るものに対しては変化(へんげ)した姿であらわれることがよくあります。

 

そのほか政治家・インフルエンサーのような影響力のある人・マスコミ・スピリチュアルな世界で人気のある人などを我欲で晦ませ(くらませ)、褒美を与えながら操って多くの人を誤った考えや方向に導いていった先に夢や希望を削いで殺伐とした社会を作り上げて支配しようとします。

 

戦争や社会不安なども、魔が独裁者や独裁政権また権力者といったものを利用することはよくあることです。

 

もちろん気付かれぬうちに意識を操り本人の意思に反して嫌な言動を発して人を不快にさせることがあったり、煩悩を刺激してやるべきことを疎か(おろそか)にさせて良い気を流して悪い流れにしていくこともあります。

 

向上するために必要な人を遠ざけたり排除しようとしたり、成長の妨げになるような動きをみせることが多いですが、当事者の意識や記憶に残らないこともあり原因がわからないまま状況が悪化ということも多々あります。

 

当然なことですが、魔に心を操られてしまいますと本人は違和感を感じることなく誤った方向に一直線に進むことになります。

 

そうしたことを阻止するためには、流れが悪くなった時点で自己を見つめ直し方向修正する(原点に戻ったりする)ことが大切です。

 

 

では、霊視が出来るような人に影響を与える魔について書き続けていきます。

 

この魔の変化(へんげ)で多いのが神様や仏様の姿などで、スピリチュアルで人気だったり影響力のある霊能者や霊視できる人などの前に現れて話したり言葉を降ろします。

 

スピリチュアルで超有名ブロガーのSさん(仮名)も数年前から魔の変化したものを神仏と見誤っている節が多々あり、神仏との会話として多くの人々の興味を惹く発信をされているおられるようです。

 

本来、神仏と関わりを持つものは、霊的な真理のもと人々に正しい考えを広めたり気付きを与えるものであって、縁起担ぎや御利益の方法を伝えるものではないのです。

 

殺伐とした世の中を如何に良い方向に導くために、心に温かな火を灯し厳しいことも伝えていかないといけない義務があるのです。

 

世間から認知されていなくとも神仏というのは気付きや導きを授かる存在であって、Sさんが発信されているような御利益や欲望などを叶える存在ではないのです。

 

魔というものは巧妙なので正しいと思えることも織り交ぜながら、さもそれが正しいと信じて疑わない状況を作りあげてから誤った方向にもっていきます。

 

御利益信仰というのは、もともと日本の寺院仏閣繁栄のために人為的に作ったものであるため海外の他宗教と比べると異なるものなのです。

 

なぜ日本人は、ここまで疑いもなく御利益信仰を信じるのでしょう。。。

 

ご利益信仰に魔が関係するのか否かになりますが、答えから申しますと関係します。

 

邪な考えや努力もせずに祈願するような人に神仏が振り向いてくれることはなく、相手をしてくれるのは魔といった類に限られるからです。

 

人によっては努力もせず祈願などが叶うようなこともありますが、魔とて御利益やメリットを与え信じ込ませてから巧みに人々を取り込んでいくことを知らないといけないのです。

 

これは聖職者であっても同様で邪な気持ちで神仏を拝んでいれば、たちまち魔の餌食になって金儲け主義になったり世俗的な人間に成り下がってしまいます。

 

魔の手口は巧妙であり、陰陽などの破られるはずもない結界を御利益信仰を信じた人々や聖職者などに結界を解く(ほどく)動きをさせたり、神聖な場所を欲という念で満たしながら穢(けが)していって無きものとしています。

 

そうなれば、神聖な存在の守護が利かなくなり魔のやりたい放題な環境に変わってきているのが現在の状況なのです。

 

さいごに

私たちが知り得るスピリチュアルでいう霊の世界というのは浅く不明確なものが多いのが現実ですが、見えない世界には一部の人にしか知り得ない存在が居たり名前もないような高尚な存在がおられるのです。

 

この魔というものは霊よりも遥かに能力が高く個々のレベルも様々です。

 

魔を霊のように祓うことが出来るのかといえば、それなりの能力を持ち関係する神仏の御力にも左右されるものと感じますが簡単なものではありません。

 

口外できないので神仏などの名称は控えさせていただきます。。。

 

普通の人であれば欲に惑わされず意識を清浄に保ったりすることを続けたり、魔かもしれないと気付くことでスーッと居なくなることもあります。

 

このあたりも経験からお伝えしているものです。

 

それではこの辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>

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