当ブログの管理者の話で申し訳ないのですが、私は大人になってから様々な霊体験をしたことによって霊感が強くなった人間なので、どのようにして霊感が目覚めたのか書いていこうと思います。
はじめに
子供のときに霊が見えたのに、大人になって見えなくなったという話はよく聞きます。
子供は純粋無垢だったり、霊の世界から転生して間もないから感覚が残っていて見えるとか言われていると思います。
ところが、私のなかでは幼少期から霊が見えた話も記憶もなく、大人になってからジワジワと霊感に目覚めた感じです。
ということで、大人になっても霊感が強くなることはあります。
そこで、どのようにしてそうなったのかを、書いていこうと思います。
霊体験も成人してからだった
霊体験と霊感が結びつくかわかりませんが、私の場合は成人してから急に色々気持ちの悪い霊経験から始まりました。
事の発端は、京都の祇園祭で八坂神社の境内で撮った、一枚の心霊写真に始まります。
神社の境内のお社の柵を背中にしていたので、後ろに誰もいない状況でしたが、写真には柵に被るように若い女の子が背中を向けて写っていました。
黒い髪で黄色いベスト、白系Tシャツにスカート姿でしたが、足はありませんでした。
それから1年以上経ったころ、今度はホテルでのラップ現象を経験します。
このときは部屋に入ってから朝方5時ごろまで、ずっとパシッパシッってラップ音が盛大に鳴っていました。
最初は有線のスピーカーがおかしいと思っていて、有線の電源を切っても大きなラップ音は鳴り止まず、結構酔っていたのに寝れないほどでした。
そのときは、まだラップ現象なんか知らなかったので、うるさーで済みましが。。
ちなみに、あとで聞いた話ですが、そのホテルでは以前に殺人事件があったそうなので、その部屋だったのかも知れませんね。
この時点では、霊感といったものは自分にはないものと思っています。
本格的な霊体験に突入
少し長くなりそうなので、内容を巻いて書いていきます。
あのラップ現象から数年が経ち、とある女性と同棲を始めたときに憑依体験をします。
いわゆる、霊が人に憑依して話し出すといったものでしたが、私も変わっているのか次々と憑依する霊と普通に話したりしていました。
このときに他界した祖母の霊も出てきて、方言・話し方のクセ・親族間しか知らない私の呼び名などから祖母の霊と確信する。
そのほか自殺した若い女性が憑依したときは、自殺した場所を聞いたので自殺現場に出向き、木に巻き付けたロープの断片を確認したり。。
守護霊様のときは、霊的な世界の教えを授かったりしたことが今も役立っていたり。。。
この時点で、遠回しに?守護霊様から霊感があることを伺いますが、まだ半信半疑みたいな状態。
極め付きは、重い精神障害をもっていた女性に霊が憑依していたわけですが、それが弘法大師と僧侶が出てきた翌日に、精神障害が完治し霊障が完全に収まる。
まだ自分に霊感があると思えていない、間抜けさ継続中です。
不思議と除霊を頼まれるようになる
霊感のことを話していないのに、友人などから霊が憑依しているから祓ってくれと頼まれたりするようになり、除霊の仕方も知らないまま我流で行なう。
これが不思議と、霊が祓えることに気付きます。(覚醒の始まり)
ただ。。霊に出て行けということはせず、不動明王様に除霊をお願いする形ですが、真言を唱えることも知らず祓ってもらっていました。
そんななかで、生霊によって何度も自殺未遂をする人から相談を受け、依頼した人の家に泊まり込みで除霊を試みることに。。
その夜に、依頼者の他界した父親が依頼者に憑依して現れる。
『お前を呼んだのはワシじゃ』と、霊能者として呼んだらしい。
やはり目の前で依頼者に生霊が入ると、除霊が出来てしまう。。。
ここで、なんとなく除霊が出来るかもという感覚が確信に変わる。
霊感の幅が広がっていく
そうこうするうちに、スピリチュアルブログを立ち上げて運営していくうちに、死後の世界や霊的なことで相談を受けるようになる。
いま思えば。。死後の世界や霊のことなどに日常的に関わっていくと、やはり霊感がついてくるように思いました。
他の人も同じかもしれませんが、潜在的もっているものが、何らかのキッカケによって目覚めるような感じかもしれません。
故人の霊の思いや感情まで読み取れたり、完璧とまではいかずとも浮かんでくることが的を得るようになる。
それでも霊的な感性や感覚は上がれど、神仏系との御縁は少ない状態にありました。
神仏の御縁が急激に飛躍
いまでも鮮明に覚えていますが、友人が突然に手印(しゅいん)を結びだしたこと。
手印とは、仏様の悟りの内容や誓願・象徴を表わすものです。
その一コマから。。
私「えっ、それ何?」「もう一回やって」
友人「はっ?何が?」
私「なんか手で印を組んでたやん」
友人「なんもしてないし・・」「手印って何なん?」「何も覚えてへんねん」
友人はまったく記憶がなく、おもむろに印を組んで見せた不思議な話です。
このようにして、とある仏様の印を授かります。(あとで手印の存在が判明する)
そこから少し経ち、友人と神社仏閣巡りの旅に出ることになります。
何ヶ寺か参拝のコースを友人が決めていたのですが、ある一ヶ寺だけ私に何かに憑依されたのか行くことを拒み、道に迷ったりスムーズに行けない。
ようやく目的の寺に着いたが、今度は住職は携帯を触りながら会計するわ、お手伝いさん共々に超不愛想。
素晴らしい仏様がいらっしゃるのに、お堂内は超「陰」な雰囲気が漂っています。
目的の仏様は神々しいのに、なぜか寂し気な雰囲気が伝わってきます。
まさに、お寺の貧格にそぐわない、神々しい仏様とのアンバランスな所でした。
翌日も他の御寺を参拝したりして大阪に帰ったのですが、そこから異変が起こります。
その翌日の昼間のこと、急に起きていられないほどの眠気に襲われて昼寝をしたら、霊的な何者かに首を絞められたそうです。
その友人は、もがき苦しみ真剣に殺されるかと思うぐらい、その攻撃は収まることがなかったと言ってました。
あ~、だから参拝を拒み、道に迷い、不愛想な対応、モヤのかかったお寺の写真、挙句霊障による首絞めだったのね。(邪魔が入る)
いくら鈍感な私でも、この仏様と御縁があることが分かりました。。
この冒頭からの流れは繋がっていたようで、手印の仏様と神々しい仏様は深く関係があり、妙に納得できる御縁だったのです。
そのほかにも、仏様の憑依によって「真言は届いておる」と言われたり。。
有名な御寺で仏様の縁日行事で、大勢の人がいるなかで立ち見だったのに、偶然に最善の席に座れて、仏様のすごい波動を感じられたり。。(不動明王)
参拝する神社の参道で、無意識に手印(一般的に認知されているものと異なる)を組んだものを授かり、帰りにカラスが境内の神馬に乗ってきたり。。
あげれば色々ありますが、それよりも御縁によって。。
様々な除霊や浄霊や撥遣など完璧でないと思いますが、出来るようになってきました。
さいごに
抜粋して書いているので、そんなうまい話もなかろうとか、思い違いと思われるかもしれませんが、そこは各々ご判断下さい。
私の実際に経験してきた経緯から書きましたが、霊能力や霊感は大人になってからでも強くなることは間違いなくあります。
ただし、どのような霊感が強くなるかには違いがあり、それに沿った経験が当ブログの記事では参考にならないかもしれません。
しかし、霊感や霊能力といったものは自慢するものでもなく、わずかでも人の役に立てれば良い、それだけなんですよね。
霊感や霊能力がなくても弱くても、先祖を大切に想い供養したり存在を信じるほうが、幾分も人生にプラスに反映していくと思います。
それでは、このへんで終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>