降霊術といった呪術や占い的なものをネット上で散見しますが、それほど多くの霊能者ができるほど簡単なものなのか真偽について霊媒憑依の経験者である立場から説明させていただきます。
はじめに
大切な人や愛する人が亡くなったときに故人の言葉を聞きたいと願う人は少なくないと思いますが、果たしてこの降霊というものが本当に叶うものかについてお伝えしていきます。
そういった霊能者に依頼する前に少しでも参考になれば幸いに思います。
その真偽について、当ブログが何故こうしたものをお伝え出来るか少し説明させていただきます。
当ブログの管理者がスピリチュアルの世界に入るキッカケとなったのは、突然に起き始めた霊媒になった人に憑依した霊や神仏との会話から始まりでした。
しかし、そんな非現実的な話を誰にも言えることもなく胸の内に秘めたまま月日が経っていき、なんとなく邪な心で始めようとしたブログからスピリチュアルの世界に入り込むことになったのです。
そうこうしているうちに自分の経験が僅かにでも人の役に立つことを感じ、神仏や霊的な対処などを本格的に身に付けて向上していこうと決めました。
スピリチュアルな分野(ブログ開始から)では約4年(?)という短い期間になりますが、様々な相談を受けていくなかで不思議な能力や神仏の御縁を授かり未熟ながら生意気なことを発信できるまでになった経緯があります。
ここでは、どこまでの霊能力があるなどと自慢する気は毛頭ないので流しますが、霊能力は我欲のためにあるのではなく基本は気付きや導きのためにあることを悟り、たったひとりでも役に立てば本望という姿勢で発信しています。
降霊術の信憑性について
一部の本物(イタコなど)を除いて、降霊術の信憑性はかなり低い分野です。
青森のイタコのように修行をして降霊の技法「口寄せ」を身に付ける人も存続が危ぶまれるほどの状況をみせていることが降霊術の世界の現実です。
口寄せとは、自分の身体に故人の霊を憑依させて話す技法のことをいいます。
こうした本物が絶滅の危機に瀕するなか、スピリチュアル界隈では謎の霊能者たちが降霊術と称して同じようなことをする人が増えている現状があります。
このような背景にはネットが普及することにより、故人と話したいという人の需要があるために商売(お金儲け)に繋がるといった理由から増加傾向にあるわけです。
つまり降霊術って霊能者なら誰でも出来るようなものではなく、猿真似(または演技)をするか違うものが憑依する程度が関の山な分野であるということです。
では実際に降霊できる人がいるのかといえば、ネット界隈で生業にしているような中から探すのは極めて難しいとしか言えないほどのものです。
降霊で間違いなく本人である判断の基準
降霊すると、どの程度本人であるか分からないものと思います。
しかし、これから書くことが99%の確率で間違いのない判断基準です。
それでは書いていきます。。。
〇話し方や方言といった口調は生前のままである。
〇好きな食べ物や飲み物は亡くなっても変わりません。
〇生前の記憶を鮮明に覚えている。
〇無口や話好きなどの状態も生前のままです。
〇利き手も生前のまま変化なし。
〇日常の呼称(※呼び名やアダ名)は忘れてることはありません。
〇自分の呼び方(私・ボク・俺)も変わりません。
など、まったく生前と変わらない状態でなければ本人ではありません。
亡くなったからといって、何かが変わることがないのが本人の証です。
ここまで厳しい見方をしなくとも、違和感を感じなければよいと思います。
降霊術はリスクを伴うもの
では、少し降霊についてのリスクをあげてみようと思います。
霊能者であれ霊媒になる人であれ故人を降霊して身体に憑依させるということは、普段から霊に憑依されやすい身体になるということです。
霊に憑依されやすい身体になるということは、当然なこと未浄化霊や邪霊のほかに悪霊系などのものからの憑依(攻撃)を受けやすくなるわけです。
そうすると精神状態が不安定になったり身体の不調が現れることが多々あります。
こんなこと、それなりの霊能者なら知っているはずですが、安易に行なうことはリスクを伴うので大丈夫かと案じてしまいます。
私が関わった霊媒になった人は、精神状態が不安定でしたが幾度も夢遊病者のように真夜中に寝間着のまま呼ばれているから行ってくると不可解な行動をとったり、死神様の使いというものに暗黒の世界に連れて行かれた(起きなければ意識不明か死亡)こともありました。
人は暗黒の世界に連れて行かれると揺すろうが微動だにしなくなります。。。
さいごに
このブログを始めた当初は霊媒憑依による会話は特殊なものとも思いませんが、意外と経験している人が少ないようなので改めて降霊術の真偽として書いてみました。
こうした記事が少しでも、大切な人を失くされた方々の降霊術に纏(まつ)わる参考にしていただければ幸いに思います。
それではこの辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>
イトケン様、こんにちは。お忙しいところ、ご返信をありがとうございました。動物実験で命を奪うのは、カルマになるのですね。命の重みは人間と対等だと思うのですが、言葉が話せず、人間より知能が少ないため、小さくて弱い生き物が犠牲になるのは、とても可哀想です。今回のイトケン様のご返答を、娘に伝えます。これからもブログを楽しみに読ませて頂きます。またご質問をお願いするかもしれません。どうもありがとうございました。
mike 様
こんにちは。
ご連絡ありがとうございます。
早速ですが、ご質問にお答えさせていただきます。
>>動物実験で、たくさんの動物の命を苦しませて奪うのは、カルマになりますか。
➡直接なので少なからずカルマになります。
一寸の虫にも五分の魂といわれるように知性がなくとも大切な命です。
>>相談した霊能者は、最期まで大切に扱うことで、カルマにはならない、と言いましたが、本当にそうでしょうか。
➡殺されることを察したものを大切にする、もしくは大切にされた挙句に殺されるもの、その立場を自分に置き換えたら心情が分かりますように酷でしかないように感じますが。。。それよりも実験として犠牲になってもらったことに感謝して、1年に一回は供養として神社仏閣に参拝して亡くなったものが恐怖を忘れることを祈願する方が良いと思いませんか?
>>殺される動物は前世で悪いことをしたのでしょうか···。医療のため、学術のためは人間都合で、動物には関係ないと思うのですが、とても可哀想です。
➡何も悪事を働いたわけではなく人間の身勝手な都合でしかありません。
本当にとても悲しく辛いもので涙してしまいます。。。
また何かご不明な点などありましたら、ご連絡して下さいね。
こんにちは、お忙しいところ返信をありがとうございました。ご相談したいのですが、動物実験で、たくさんの動物の命を苦しませて奪うのは、カルマになりますか。子供は医療系に進学を希望していますが、進学後、動物実験は避けて通ることは出来ないようです。人間に因果があり、前世の行いが来世に影響を与えるようですが、無垢な動物を大量に殺すことが、悪い影響を与えそうで、親としてはとても不安です。相談した霊能者は、最期まで大切に扱うことで、カルマにはならない、と言いましたが、本当にそうでしょうか。大切に飼われるネズミ·ウサギと、残酷な実験で殺されるネズミ·ウサギの違いもよくわかりません。殺される動物は前世で悪いことをしたのでしょうか···。医療のため、学術のためは人間都合で、動物には関係ないと思うのですが、とても可哀想です。でも自分も医療を受けているので、偉そうなことは言えないです。もし返信頂けましたら、とても救われます。
mike 様
はじめまして。コメントありがとうございます。
早速ですが。。。
当ブログの方向性は気付きや導きが主体であって、ご期待されるような質問にお答えできかねる場合がございます。
占いや霊視といった鑑定については仰られるようにエンターテーメント的なものが多いですが、たとえそれが真実だとしましても当方はその行為に関して意味を感じ得ません。私たち人間の多くが過去世や霊が視えないといったことには意味があるものであり、知らないからこそ人生だったりするのです。さらにいえば、お金があるから鑑定したり霊能者と関わることが出来ることもスピリチュアルな世界の疑問であり、お金に余裕がなければ救われない(鑑定できない)といったことも違和感でしかないのです。
つきましては霊能者の能力の真偽を確かめるようなことであれば、ご質問にお答え出来かねますが。。。
イトケン様、はじめまして。2年前位から時々拝見させて頂いております。今まで3人の霊能者に前世等を視て頂いたのですが、3人とも前世が違いました。亡くなったペットについても、死後は会えないとお二人に言われました。3人の霊能者が、嘘をつく方にはおもえないのですが、悩みを相談しても霊視結果があまりにも違うので、占いと同じようにエンターテイメントのようなものなのかな、と思うところもあります。イトケン様に個人的にご相談したいことがありますが、公開という形になりますか。お忙しいところすみません。返信頂けましたら幸いです。