スピリチュアル界隈では浮いた話を疑いもなく信じている人が大勢いますが、人間の基本は自然と共存していることにあり、神社で祈願するときに感謝を蔑ろにしては聞き届けられないものである。
はじめに
私たち人間は、自然の恩恵を受け共存しているから、命を繋げて生けるのです。
この世のすべてが、創造主である神様が与え給うたものであること。
そして、この地球上において人間という存在は全体の一部に過ぎず、自然の恩恵なくして生き抜くことは不可能というものです。
それなのに、なぜ自然を尊び感謝して生きぬのでしょう。。。
自然に宿る神様の基本と神界
一般的に「神界」とは、神様のおられる領域という意味です。
そして「神界の基本」というのは、神々が自然や生命に宿るといわれるもの。
神は、全ての万物を公平に扱い、人間だけが突出して特別に扱われる存在ではありません。
つまり自然界のあらゆるところが神様の領域となり、その恩恵を生命体は享受し生きながらえているのです。
つまり。。祈願成就には、神様の領域である自然界を蔑ろにしていては、叶うものも叶わないということになります。
自然を尊び感謝することは基本的なこと
前述してきましたが、私たちは自然と共存して、多くの恩恵を受けています。
光・水・空気・土・木・火・鉱物といったものの恩恵を受け、動物や植物を体内に取り込み生き続けています。
まず神様云々というよりも、目の前にある自然に敬意を払い感謝する心がなくては、如何なる願いも御利益も程遠いものとなる。
誰かに何かしてもらったことにだけに感謝するのではなく、常日頃から神様から平等に与えられたものに対して感謝することが基本です。
頭でわかっていても、多くの人がこうした大切なことを当然のものと勘違いしている。
これらを蔑ろ(ないがしろ)にして、神様に祈りを捧げても祈りが届くはずもないのです。
先ほども書きましたが、この世のすべては神様の領域であり、私たちの行動は一つ残らず御見通しになられているのです。
実は。。。
この記事を書こうとしたのは、先日に関わった白い龍からの言葉でした。
御参り(祈願)に来るものは、祝詞を唱える人も多いようですが。。
「自分の欲(我欲)ばかりで、うんざりすると。。。」
そして。。
「参拝に来るものは、自然に敬意が足りないものばかり」
だと嘆いておられました。
イトケンからしますと、何よりも納得できる御言葉として同感の思いです。
さいごに
このようなことをお聞きしたので、少しでも白い龍である神様の思いを認識してもらおうと書くことにしました。
当ブログは基本的に神仏の名称は公にしませんが、自己判断で名称を明かしました。
それでは、このへんで終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>