本当のところ魂も死んでしまうなら自殺することも選択の一つだと思いますが、実際はというと死んでも魂は生き続けることになります。すると死んでから霊としての過程を歩んでいくことになり、自殺したことによる思念で苦しんだ末に90%のものは後悔していくことになることを説明していきます。

 

自殺したら後悔するのはナゼ?

 

説明の順番が逆になるのですが、最初は自殺しましても後悔なんてしません。しかし多くの自殺者の霊は、死んだ直後は本当に死ねたのか不思議な感覚に戸惑うことからはじまり、個人差(遺族の有無や発見の可否など)が大きく違いますが、いずれは自殺できたことに気付くことになります。

ここでいいます自殺することが成功したことに個人差があると書きましたのは、遺族がいなければ葬式などで死んだことに気付くことができなかったり、遺体の発見が遅かったり発見されていないと親族や友人が亡くなったことに気付かず、自殺した本人も死んだことの認識が遅れる、つまり自殺が成功したのかわからなくなります。

いわば葬式や遺族や友人などが悲しんでくれているような姿を見て、自分は死んだんだと認識するようになっていくわけです。

 

では次に何が起きるのかというと、自殺して苦しみや絶望から逃れたと思ったのに死んだのは肉体だけで、頭のなか(実際には思念)は変わらぬ自分が存在していることに気付くことになります。

まずこれが自殺者には厄介なことになるもので、霊の世界は思念中心ですから体の疲れや痛み・睡眠や食事といったものは必要なくなり、変わって思っていることが想像以上に大きくなり悩みや苦しみを抱えて死んだら24時間(人間の区切りの例え)のなかで必ず思い出して、あたかも現実に起きているように思えてしまうのです。

これが間違った説明をされているスピリチュアルでいうと「地獄」ともいうべきものです。しかし実際のところは「地獄」というものは存在しませんが、悪事を働いてきたものは何も見えない真っ暗闇に入ってしまうことはあります。

話を戻しまして生前と死後というのは区切りがあるようでないので、前述した『思念に苦しんでしまう』といったことになっていきます。

このあたりはブログを読んでくださっている人はご存じだと思います。

 

本題はここからということになりますが・・・、いろんな経緯を過ごしてきた自殺した人の霊というのは、遺族の支えなどがあって苦しい思念を断ち切り、ようやく天命を全うした霊たちと同じような状態になっていけるわけです。

この苦しい思念から抜け出すことができるのも、おのおの個人差があり早い段階で立ち直るもの、また人間の寿命よりはるかに長い数百年単位のものまで存在することになります。

この差は先ほど申しましたが、遺族という家族や友人・恋人などの手厚い供養があるからこそ早く立ち直れることになるので。(この供養とは形式でなく想う心です。)

 

晴れて苦しい思念から脱出したものは霊の世界に戻って初めて、自分は死を選択すべきではなかったことに気付くことになっていきます。

それはもともと自分自身が転生して乗り越えようと出した課題であったことだったり、人間の世の中がすべてではなかったことなどです。

 

つまり死んでから気付いて『後悔』することが下記のようなことになります。

「なんて視野が狭かったんだ」

「周りの目なんて気にしなければ良かった」

「この部分を耐えるために生まれ直したのに」

「お金や物質は人間の世界だけだったんだ」

「失恋も離婚も縁というのを忘れてた」

「死別も必然だったんだ」

「逃げたり回避する手段を間違えた」

 

など、ざっくりですが霊の世界に戻れば以上のようなことに気付き、霊として普段分かっているようなことを肉体をまとった精神に翻弄されていただけと『後悔』してしまいます。

 

霊の世界に戻れば地上界つまり人間の世界に転生したときには、先ほどの課題を忘れあたかも人間の世界のことがすべてだと勘違いしていたことに気付くのに、幾度となく転生しても同じように霊としての記憶は消えて同じような過ちを繰り返すわけです。

このようなことが霊の世界に戻ったときに、貴重な時間を潰してしまったことの『後悔』が大きく無念さを味わうのです。

こんどは『後悔の念』が強くなり、なんとかもう一度生まれ変わってやり直したいと希望の念が湧いてくるのですが、そう思うように転生ができるものではなく許しを得て初めて叶うといったものです。

 

自殺しても後悔しない人がいるのか

 

実際に何も苦しまず、天命をまっとうした自然死と同じような人はおられます。

具体的には自殺を誘引してしまってはいけないので書きませんが、少し思念で苦しんだ末に現実に気付き多少は後悔しますが、ほぼ苦しむことなく成仏されます。

これだけは言えるのですが、自分の悩みや苦しみで死を選択する人は間違いなく死後は苦しみ後悔することから逃れられることはありません。

タイトルで90%と書きましたが、実際には2割にも満たないと思うので90%という数字で表現しました。

この例外的な人たちは、自然死と変わらないどころか悩みの分だけ転生が早いような気がしますが、これは私見ということにしておきます。

 

さいごに

 

いま日本の年間自殺者数は2万人前後で減少傾向と発表されていますが、実際は10年も満たないころに自殺の判定基準が厳しくなり、遺書がないものは基本変死扱いになるので変死の数が異常なまでに増え続け年間15万人超といわれており、いまなお増加傾向です。これは世界に向けて自殺者数を過少申告するために作った基準のようで、実際には増加が止まらない状態といって間違いないようです。

しかし経済や人間関係など社会的風潮が人の心をおかしくしているようなもので、本当は周りを気にするのではなく自分を失くさないようにして欲しいのです。

お金も生活するために間違いなく必要なものですが、人間として生きていくというより霊体として、どう生きるべきか社会に惑わされないようにしたいですね。

 

今回は久しぶりにブログの更新になりましたが、心配してお声をお掛けいただいた方々に感謝とお礼を申し上げます。

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>