真言を唱えると仏の智慧と功徳を得ると言われますが、その人の状況によっては逆効果になりることが現実にあるため、真言を唱えるにあたり注意すべき点を説明していきます。
はじめに
真言とは、わかる人にはわかる不思議なものです。
心清らかに唱える人には、目に見えなく感じなくとも、多少なりとも仏の智慧や功徳を得ることができます。
ところが、前々から懸念していたことが明るみになったこともあり、こうして注意すべき点として書かせて頂くことにしました。
心の状態が真言の方向を変える
真言を唱えることについては、唱えない方が良いとか問題ないとか、色々な見解あるように見受けます。
あきらかに言えることは。。
悪しき念や感情が潜在的にでもある状態で、真言は唱えてはいけないものです。
間違いなく、逆効果を生んでしまうことになります。
仏様に向かう気持ちが真面目であっても、心の奥底が曇った状態にあると、真言は仏様に届かず違うものに唱えることになる。
実際の話として、熱心に真言を唱えていた他界した信者が、厄介な邪鬼になり災いを起こしていたことがありました。
見えない世界は陰と陽が相反しているため、真言はプラスにもマイナスにもなるのです。
こうしたことから仏の教え(真理)があるわけで、そうした教えなくして真言を唱えることは邪道にもなりうるわけです。
真言は唱えないほうが良い?
前項のようなことがあるので、自分に問いかけてみて決めて下さい。
そして仏の教えや霊的真理を参考にしながら、大丈夫だと思えば唱えていけばよいのです。
くれぐれも。。。
恨みや憎しみ、強い欲望や悪しき念などをもっていると思えば、真言は唱えない方が無難といえるでしょう。
そのような心の状態で唱えても、何も良いことは起こらないどころか、逆効果であることをご理解下さい。
結論として、真言というのは唱えれば良いというものではないということです。
除霊などで一時的に唱えるものは問題ない
よく金縛りや憑依を感じるときに、その時だけ唱えるような真言は問題ありません。
私たちには、常に先祖の霊や守護霊的な存在が付いてくれているので、そのような場面ではフォローもしてくれると思います。
一般的に知られているのは、不動明王真言などでしょうか。。
要するに、日課のように勤行するようなものは、注意が必要ということです。
さいごに
経験から書いていますが、真言は無闇に唱えるものでもないです。
イトケンは、超未熟ゆえに雑念が多いときは真言を唱えないのですが、そのような気持ちで唱えるのが失礼に感じるためです。
神仏に向き合うためには、表面だけではなく心も曇りなくしたいものです。。
それでは、このへんで終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>