死にたいと思う人や生きる希望がない人によく使われる言葉のひとつに「生きてたらいいことある」というものがありますが、これはまったく根拠がないウソで先のことなんて誰にも分からないし「いいことはないかもしれない」のです。そこでウソな理由と、なぜそれでも人は生きるのかを説明していきます。
「生きていていいこと」ってウソな理由
「いいこと」って、基準がないもの・人と比較してわかるもの・決まりがないもの・人の感覚によってちがうもの・自分が思い込むものです。
ですから線引きが不明確なもので、どこまで行きましても本人の感覚でしかありません。
自分自身が「いいこと」って思えないと、すべての物や事は他人がいいと思っても大して自分には「いいこと」にはならないといったものです。
人によっては異性と仲良くしているだけで「いいこと」って思えたり、高価な物を買ったり豪華な食事を食べたり旅行したりすることが「いいこと」だったり、お金が人よりあるだけで「いいこと」だったり、これって人によってちがう価値観でしかありません。
また希望の学校や就職先に入れたりすることが「いいこと」になるのでしょうか?これって希望するところに入れても将来の保証がされているわけでもなく、一寸先はだれもわからないのですが、この瞬間が「いいこと」になるかもしれません。
しかし、そんなものに一喜一憂していても常に継続していくものではなく一時的なものでしかないので人によって判断はわかれるものです。
ですから、「生きていたらいいことがある」というのは何の根拠も保証も確信もないので、このようなものはウソとしかいいようがありません。
いいことがないのに、なぜ人は生きるのか
これをスピリチュアルな目線でいいますと、そもそも人間というのは楽しむためだけに生まれてきたのではなく霊としての成長をするために修行で今世に来ているのです。
いわば人間界という期間限定の道場や研修に来ているといった感じなので、普通に「いいこと」を求めるというより辛苦や困難を何とか乗り越えていくために来ているので、「いいこと」の方が少ないか何も希望を持てなくて当然と言えば当然なのです。
ですから、単に寿命まで生きているだけでも霊の世界に帰ればプラスになるのです。
実際のところ私自身が波乱万丈な生き方をしてきていますので、正直なところ早く霊の世界に帰りたいと思うときがあります。
しかし自殺までして霊の世界に帰るとなると、いまの「いいこと」がない状態が思念で続いたり人によっては苦しみや後悔が霊の世界に帰っても引き継がれることが分かっているので、なんとか「いいこと」がなくても生きている感じです。
私の話しはこの辺にしておきまして「いいこと」がないのに何故生きるのかを説明していきますと、『なんか知らんけど生まれてきたから生きる』でいいのであって、生きていく理由なんていらないのです。
虫や動物というのは本能でしか生きていないので、自分の置かれた環境に疑問や不満ももたず自然の摂理に逆らわずに本能のまま死ぬまで生きて終わりなわけです。
人間は考えるといった知能があるために色んなことを考えたり感じたりして苦しみますが、すべては一長一短といったところでなので、それをどうやって自分のなかで処理していくかで生き方が変わるのです。
ですから「いいこと」の未来も案ずることなく、目の前のことといいますか一日一日を後悔なく生きていけばいいのです。
「悪いこと」など昨日や1時間前のことも過去でしかないので、振り返ったところで何も戻ってこないので過去は終わったこととしていくべきなんです。
世の中の多くの人が生きていくために働き家に帰って食事をして寝ての繰り返しなわけで、たまの休みに趣味や好きなことをして過ごす程度で人生を終えていくわけです。
そこに生きていても意味がないと感じたり感じなかったり各々ちがいますが、すべては自分がどれだけ身近な当たり前に心動かすことができるかで「いいこと」の基準は随分と変わっていきます。
ですから、同じ生きるにしても感性によって良くも悪くもなるので『無理矢理いいように捉えていく』ことは、生きていくうえでとても大切です。
このように人によって感覚には大きく相違があって、みんな生きています。
さいごに
いま「生きていてもいいことがない」と思われている人は、まだ人生でいうと若い世代に入るのでしょうか?
若いころに頭の中で描いていたことや考えていたことは、5年10年または20年後に思い返してみると、「なんて考えが浅かったんだろう」と思うことがよくあるものです。
こんなことで、なんで悩んでいたんだろうというのは必ず思う時がきます。
いま考えていることがすべてと考えるのが普通なので、理解しにくいといってもおかしくないと思いますが参考にしていただければ幸いです。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>