死ぬことはすべてが終わりではなく身体という肉体の機能が使えなくなるだけで、魂は生き続けるので自分が生きてきた人生の奇跡をふたたび体感するような回想が起きます。
はじめに
自分が死んだときに、どのような状態になるのかを少し触れていきます。
人間の死とは、魂本来の始まりを意味しますが、そのなかで生きてきた人生の軌跡を回想することになります。
今回は、その人生の軌跡の回想について説明します。
死ぬと魂の世界に突入する
どこかで聞いたことがありますが、『肉体は神様からの借りもの』といわれます。
これを真剣に考えると、現実には理解できないかもしれないですね。
どうせ借りるなら、頭がよくて見栄えのいい肉体を選びたいものだからです。
個人的な意見は別として、借り物というのは、肉体がなくなっても『魂は生き続ける』ということを意味します。
つまり、死ぬということは、人間として使っていた肉体を脱ぎ捨てて、本来の姿である魂だけの状態に戻るということです。
もともと魂の世界のほうが長くいてるのですが、どうしても肉体を纏うと魂の世界のことを忘れてしまうようです。
回想する状態
私たちが死ぬというのは、肉体が関係していた機能が使えなくなるので、思念や想念が中心の状態になります。
すると、生きていた時の軌跡を思い出すようになります。
それは忘れ去ってしまっていたことさえ、魂が記憶しているので回想します。
生きているときに頭に浮かべることや夢は映像的ですが、死後の回想はその場にいてるような感じでリアルに再現されます。
生きてきた軌跡の内容について
幼い時から死ぬまでの記憶を回想することになります。
生きている時でも過去のことを思い出したりしますが、それ以上に多くの生きてきた軌跡が浮かびあがってきます。
これは魂が肉体から離れたことによって、目で見ていた景色がなくなり、異なった感覚(視覚)と思念がリアルなものへと変化するためです。
生きていた時のリアルと、死んで魂だけになった時のリアルが違うことをお分かりいただけると思います。
魂の世界(霊の世界)に突入するなかで、死んだあとの生きてきた軌跡の回想が、さも引き戻されたようなリアル感を味わう。
特に死の直前のものは生の延長線上にあるので、回想もリアルすぎて自分が本当に死んだのかと思うぐらい生々しく感じます。
極端にいうと、病気で身体に痛みを伴ったまま亡くなると、死後も肉体がないのに痛い痛いという感じだったりします。
しかし、時間とともに痛みが消えていることに多くの場合は気付きますが、痛みに翻弄されていたものは痛みの感覚が続く場合もあります。
亡くなると、肉体的な痛みや苦しみなど一切は、肉体から離れることで完全に消え去ります。
肉体的に体感していたものは消え、思念に強く影響を与えたものは消えにくい傾向にあります。
人生の軌跡を回想するなかで、その多くはリアルさに驚いても慣れてもいき、夢のような感じで流すのではないかと思います。
さいごに
今回は、死んだあとに経験することについて書いてみました。
魂だけになると、フワフワ浮遊しているだけではなく、魂の世界でも地上と似たような生活を送ることになります。
その始まりとして、死後に人生の軌跡をリアルに回想することも、人間と魂の状態でのギャップを埋めるものとなりそうです。
それでは、このへんで終わります。
最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。m(_ _)m