『明けない夜はない』のは、自然の摂理のごとく当てはまるもので、私たち人間が生きていくうえで、苦しいことも悲しいことも辛いことも、いずれは明かりが差すことを意味しています。
どんなに苦しいことも、悲しいことも、辛いことも、じっと堪えていれば必ず脱出できるときがくるのです。
これまで生きてこられて、もうダメだと思ったことを乗り越えてきたように、闇と光は2つ合わさって1つのものだからです。
『明けない夜はない』エピソード
私も生きてきて、死のうと思ったことも、裏切りも辛い死別も経験してきました。
でも、大した成長もせずに、いまも生きています。
振り返って思い出しますと、そのときは失意のどん底だったりボロボロでした。
その当時は、生きる気力も望みもなかったし、闇が明けることの期待さえ持てず、ただただ日々を過ごしてきただけです。
頑張って乗り越えたのでもなければ、堪えしのいだでもなく、時間が経っただけのことで、場面場面の傷は残っています。
思い出したら辛くなるから、いまも思い出さないようにしてるだけ。
普段は強がっているけど、本当は弱いんだと思います。
幸い救いだったのは、幼少期から愛情を受けずに貧乏な家庭に育ったという、雑草のような心だけが支えだったのかもしれません。
『明けない夜はない』これは本当のこと
いまも、別に何かに幸せを感じることもありませんが、ひとつだけ思うのは、すべてのものに感謝できるようになったことで救われています。
平等に与えられている、空気でさえ太陽の光でさえ感謝の対象です。
小さな動物が一生懸命に生きている姿も、踏みつけられても生きている雑草にも、目を向けれるようにもなったし、他人からしたらつまらないことかもしれません。
過去にとらわれず未来に思いを馳せることなく、今だけ見て生きています。
過去は過ぎ去った辛いものだし、未来を予想しても、その途中で何があるかもわからない。
束の間の脳天気なときには、どん底が訪れることも思わず過ごした時期もあったけど、やはり山ばかりではなく、谷は必ず訪れることも知りました。
歓喜することが大きいほど、その逆の悲哀が待ち構えているように、闇が深いほど明かりの直前であるということです。
『人生山あらば谷あり』・・山だけの人も谷だけの人もおりません。
それは、他人の人生をすべて知り得ないから、他人の芝は青く見えるだけで、みんな何らかの上と下を行き来しているのです。
もちろん、各々の思い方や受け取り方でちがいはありますが、人間として優劣はあったとしても、魂は平等なので辻褄合わせは起こります。
ですから、いまがすべてとは思わず、一時的な経過点として思って欲しいと願います。
さいごに
少しでも、参考になればという思いから書いてみました。
それでは、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>