日本の仏教でいう戒名とは死後の安寧(成仏)を祈る風習から生まれたもので受戒したものの証とありますが、実際のところは戒名が成仏に影響しないものです。多くの死者の霊は亡くなって時間が経っても生前の名前を名乗り、仏門の戒めを受けるといっても性格や想いなども変わるものではないことから、死後に受けた戒名について説明していきます。
戒名とは、本来どういうものなのか?
少し簡単ですが、戒名について説明します。
戒名とは、本来は出家信者や在家信者に与えられる仏門の戒めを受ける(戒律を守る)ものに与えられるものです。
この戒めを受けることを受戒といい、出家信者または在家信者が仏の定めた戒律を受けることや儀式のことをいいます。
つまり戒名というのは生前に僧侶だけでなく一般信徒も受けることが可能なもので、仏の定めた戒律を受ける=仏教の信徒が守るべき行動規範・内面的道徳規範という仏門の戒めを守るというもとに戒名というものを受けるものです。
戒名というのは基本的に生前につけるもの
先の項でも少し触れましたが、戒名というのは仏教では生前に仏様の教えを守ることに同意したもの(戒律を守ることを誓ったもの)に与えられるものだからです。
ですから死んだ人に仏の戒律を守ることを誓ったも何も勝手に戒名を付けて、勝手に同意した(誓った)ものに過ぎないということになります。
それを高いお金を払って戒名を買っていると解釈しても同様ということです。
このような風習は日本独特の仏教の法事の一部でしかありません。
そこで3大宗教のうちのキリスト教やイスラム教などを信仰する国々の人々の死に戒名というものがあるのかということについて説明していきます。
イスラム教やキリスト教というものに戒名というものはありませんが、その代わりにキリスト教では生きている間に洗礼名というものを生前に受け、イスラム教では洗礼的なものがあっても、これも生前ということです。
これらの他宗教の考えをイメージとしますと、生を受けて間もない頃に洗礼という形で受けるものと考えます。
戒名の金額的なもの
日本の仏教では、戒名にもランクがあって宗派によっても差はありますが金額も10万円~100万円以上(上限ナシ)といったところです。
檀家(先祖代々同じお寺にお世話になっている)という寺院にお墓があるようなケースの場合は、お寺に対する日頃の奉仕(おもに金銭的な寄付)によっても戒名のランクに影響を与えるといったことが現実です。その場合に注意したいことのひとつに「院号」という高いランクを付けてもらうようなことがあれば、お支払する金額が高額になったり、お寺から寄付を求められるといったことも知っておいた方が良さそうです。
そのほか一見(いちげん=初めて対面した)のようなお寺に対して、誰かが亡くなってから戒名をお願いして高いお金を払ってもランクが低い可能性も否めないことになります。
宗派によっても相場が違ったり、菩提寺(先祖の墓があったり法要を営む寺)に関係する人は戒名をつけないとお墓に入れてもらえないなど弊害を伴うこともあります。
そもそも戒名というものが一般に広まったのも江戸時代のころからであり、それまでの人は戒名がないので成仏できないのかというと、まったくそのようなことはないのです。
あくまでも故人の安寧を祈る風習から現代に継がれているものでしかありません。
あくまで戒名に高額のお金を払ったところで、対象とする故人の行ないが良くないと成仏以前の問題となっていくわけです。
戒名は成仏に影響するものではない
これまで戒名について触れてきましたが、人が亡くなって成仏するか否かは亡くなった本人の問題であって他力本願で叶うものではありません。
戒名を授かったからといって仏様の戒律など知る由もなく亡くなっているのですから、いかに故人に対して戒名が無意味であるかお分かりいただけると思います。
それも3大宗教のうちの日本の仏教だけが戒名に高いお金をとって、仏様に云々ということや成仏に関係するなどというのは本末転倒といってもおかしくないのです。
戒名に高いお金を払うならば愛する故人や大切な故人に対して「心で想うこと」「故人に気持ちを向ける」ことの方が、どれだけ意味の深いものになるか考えていただきたいです。
極端に申しますと、戒名がなくても何ら問題がないということです。
現代の日本において、お金や地位や名誉があると犯罪や悪事なども揉み消しができるような世相に感じますが、霊の世界は公平であり醜い人間という憐れな考えがまかり通るものではありません。
ですので死んでから残されたものが、法事など様々なものに大金を投じて死後の安寧を祈ったところで無意味でしかないのです。
さいごに
日本の仏教における『戒名』が慣習のようになり、さも戒名を授からないと故人の霊が成仏しないような錯覚さえ感じるので、そこまで重要視するものではないものだということを知って頂きたくて書いてみました。
宗教的な絡みのある人もいると思いますが、一般に大切な人が亡くなったときに多額の費用をかけないと成仏に影響したり、霊の世界で困ることが全くないというものということ。
これまで説明してきましたが、戒名というのは仏様の戒律を守るものに授けられるものですので、少し本来の方向性が変わって現代に引き継がれているのです。
愛する大切な故人がお金をかけることで救われたり安寧が望めると考えるのは人間独特の愚かな思考でしかなく、霊的な思考でいえば無意味であり死後に影響を与えるものではありません。
極端に言えば、戒名を自分で作ったり生前の名前のままでもアリなわけです。
では、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>