感謝しながら生きるということは、人生が大きく変わるだけでなく生きる喜びや多くの気付きにつながる、とても大切なことです。この感謝という言葉ですが、心から思うことで自分が不幸であるとは言えなくなるほどのものであり、幸せへの近道になるものです。
感謝とは生きる喜びにつながるもの
このような感じで感謝するといっても実感が湧かないものかもしれません。
しかし何が幸せで何が不幸なのかといいますと、各々の感じ方や他者との比較であることの方が多いように感じますが、実は幸せというのは目の前にあるものから積み上げていくものなのです。
多くの人にありがちなのが、いつもと変わらない日々が当然の権利のように来て当たり前に過ごし、変化のない毎日がつまらなく不幸とさえ感じているのではないでしょうか?
では、なぜ『感謝が生きる喜びにつながる』のかということを説明していきます。
おそらく多くの人が今日が終われば明日が間違いなくやって来ると思って、何も疑わずにルーティンのような生活していると思うのですが、近年の自然災害や大震災などが突然起きると初めて普段の生活の当たり前は当たり前ではなかったと気付くようなものです。
これは親や大切な人に対しても言えることで、明日も同じように生きている保証は微塵もないのです。亡くなってから気付いても時すでに遅しということになります。
このような自然災害にしても大震災にしても、生活が一変するだけでなく当たり前にいてた家族や友人との死という別れや一変した生活を与儀なくされるかもしれないわけです。
ですので身近にいる親や家族また大切な人に対して日々感謝(今日でお別れが来ても心から後悔しない気持ち)の想いを深めたり言葉にしたりすることは大切になります。そうすることによって、つまらない喧嘩がなくなったりお互いの関係も良好になり幸せを実感することにもつながっていきます。
少し大袈裟なスタート文になってしまいましたが、要はそういうことで毎日過ごすこと全てが当たり前ではないということです。
もっと細かく説明していきますと、毎日食べる食事も入浴も屋根のある下で布団で寝ることも親がいることも家族がいることも当たり前ではないのです。
しかしこれに限らず当たり前に思っていることは山ほどあるのですが、それと感謝が生きる喜びに何がつながるのか疑問に思う人もいるかもしれないので、さらに掘り下げて説明していきます。
生きる喜びというのは、すべてのものに対して感謝することであり、その考えや目線というものが人生を大きく変えていくものになります。
このようなことは、当然に自分自身の思考や思いやりの度合いを変え周りの人間関係を良好に変えていき、小さなことから感謝できるようになると都度に喜びや有難みという小さな幸福感さえ生むことになるのです。
感謝するといっても暗に感謝するのではなく、物質一つ一つがどのような形で自分の元にやって来てくれたのか、そこには動植物の命を犠牲にして出来たものなのか、また水や太陽などの自然に生かされているなど基本を知ることになっていきます。
これらのことを知ることが感謝であり生きる喜びにつながっていくのです。
自分の行ないはすべて自分に返ってくる(感謝も同様)
感謝をするということは、人間のなかでも特別な言葉です。
よく因果応報などというものがありますが、すべての行ないは自分に返ってくるもので良いことも悪いことも形を変えてでも返ってきます。
そこで感謝するということは、いずれ自分に返ってくるということにもなるのです。
人に感謝し身の回りのものに感謝することによって、自分に返ってくるだけでなく気付きを与え心を豊かにしていってくれるものになります。
心が豊かになると、小さな喜びも幸せと感じるようになります。
このように日々の小さな喜びが、自分が現在おかれている状況を越えて本当の幸せとという意味を知ることになっていくのです。
また人に感謝するということは、基本的にですが感謝されて嫌がる人は少ないと思うのですが、感謝の心をもつことによって今まで自分が抱いていた良くない感情が浄化されて人間関係が円滑になっていくことにもなります。
いわゆるモノの考え方や捉え方が一変していくと思って頂ければ良いかと思います。
人は自分の考え方や思い方が自分を作っていくので、こうした感謝というものを組み込むことで、自分自身も変わっていくと考えて良いものです。
私もこれらを実践していることで、大きな幸せを望まなくなったように思います。
食べものに感謝することは生命の原点に触れるもの
毎日形式的に感謝して食事をする人は少なくないと感じるのですが、実は目の前に並んだ食材一つ一つに生命が宿っていたものが少なくありません。
食べ物をいただくときに、どのようにして育ち何日ぐらいで成長したモノがこうして目の前に来てくれているのかと思うことも良いことです。
しかし肉料理について同じように感謝を心からしていきますと、正直なところ胸が詰まって食べれなくなるものです。
肉料理というのは、牛や豚や鳥類などを屠殺したものであり私たちが生きていくうえで必要な栄養素や免疫の向上にも役立ちますが、目の前のペットなどを殺して食べているのと程度は変わらないのです。
このように書くと食用で屠殺されたものとペットは全然違うと反論が出そうなものですが、どちらも命が宿っている点では同じことです。なぜ人間やペットの身体だけ守られて食用にされる動物なら殺していいのか突き詰めれば分からなくなります。
このように書いていますが、私も肉も食べますし感謝はしましても深くまで考えないようにして食すことにしています。人間にとって必要な栄養素が豊富ですので、彼らがいることで機能を維持させてもらえていると思っています。
肉類の話はこの程度にしておきまして、食べることの大切さと感謝に移らせて頂きます。
毎日食べる食事についてですが、命を頂いていることに感謝することは然りなのですが食卓に上がるまでに多くの人の手を介してきてくれたものばかりです。
農作業から加工や配送から小売店などを経由してくることは小学生でも周知のとおりですが、多くの人の手(作業や労働など)によって成り立っているものなのです。
このようなものに対して感謝をせずに不平不満を言ったり残したりすることができるのは恵まれた境遇にいるからであって、こんなことも全然当たり前ではないことです。
食べることについての感謝ですが、一つ一つの食材に対して意識を注視することになるので、当然のように美味しく感じるようになることも利点?といえるものです。
食べるものが美味しいと誰もが幸せを感じるように、日々の食事に感謝できるようになると一度一度の食事が美味しいと感じやすくなるので、毎日が幸せに感じるようになるわけです。
なかには何を食べても美味しいと感じない人もいるかもしれませんが、そのような人は命の有難みを噛みしめて食べるようにして下さい。
物質的なものに感謝することは心を豊かにする
物質つまり身の回りにある全てのものに感謝するということは、モノを大切にすることにもつながっていくのです。
物質的なものは日常毎日使うものから使い捨てのようなものまで色々ありますが、これらは普段意識せずに使ってしまいますが、こうしたモノに感謝することによって様々な気付きを得ることになるのです。
それらの多くは文明の力でできたもので、長い歴史によって開発や改良され低コストになり手元に来てくれているものたちなわけです。
そこには材質から部品や組み立てや成型と色んな人の知恵や労力が詰まっていて、なかには生あるものの身体の一部を使っているものさえあります。
薬に関してケースによっては、モルモットのような小動物の命を犠牲にして出来たものも少なくないのではと思います。
別に物質に対して探求することもないのですが、いま便利になっているのも時代が変われば存在しなかったり多くの手間や時間がかかったかもしれないのです。
そういうことで物質的なモノに感謝するということは、人の有難みやモノを大切にすることになり心を豊かにしていくのです。
太陽に感謝する
太陽が突然なくなれば、人間は生きていけないどころか生命の大半は消えてなくなってしまいます。それだけでなく、すべてが暗闇と化し氷河期のようなことが起こり最悪マイナス100度に達するともいわれれています。
それだけではなくアインシュタイン(相対性理論)によると、太陽の引力がなくなると公転軌道からはずれ時速約10万8000kmの速度で宇宙を漂流する惑星になってしまうのです。
ここまで大きなことを考えなくても、太陽の光で身体に必要なビタミンDが半分ほど吸収できたりセロトニンの分泌を促してくれたり、紫外線などの悪影響もありますが人間の身体や精神とっても必要不可欠な存在であるといえます。
このセロトニンですが、引用から簡単に説明しますと精神の安定・うつ病や睡眠などに効果のある脳内物質というものです。近年では、このセロトニンのことを「幸せホルモン」というほどのものらしいです。
このように太陽というものがあることも当たり前と思わずに感謝したいものです。
さいごに
説明が下手なので、まとまりがなく意味が伝わりにくいかもしれませんが、感謝して生きてみて下さい。
この感謝について、さっとネット検索しましたら感謝について色々と出てきたので驚いたぐらいです。そこで他者様の内容を参考にすればもう少しマシに書けたのかもしれませんが、いつもと同じで他者さまのブログには入らず題名とリード文だけを見て終わりましたので、これまた下手ですがオリジナルとなります。
よく生かされていることに感謝するというのがありますが、私は真逆で生かされているとは一切思っていなくて、本来は霊なのだから魂が死ぬことはありえないからです。
このようなことを説明しだしますと長くなりそうなので、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>
のばら 様
コメントありがとうございます。色々な記事をお読みいただいてから、こちらに感想頂きましたことに感謝いたします。
のばら様が仰られますように人の本質とはわからないものだということは、私も同感です。どうしても人の表面しか見えないことが多々ありますので、私は日常で人を判断するときによく使う言葉のなかに「一事が万事」というものを軸に人を見ます。どれだけ素晴らしいと思える人でも垣間見える違和感が、その人の本質なのだと思っています。
長いようで短い人生ですが人の顔色や社会に流されることなく、おたがい後悔のないように生きていけるといいですね。
こちらこそ、今後ともよろしくお願い致します。貴重なご意見ありがとうございます。
初めまして。
過去記事も遡って引き込まれるように拝見しました。
ドラマティックでもなく、どん底と言う出来事も多分
味わった経験もない私ですが、その時々で自分なりに
辛く悲しい事は有りました。
周りには分からないよう振る舞って来ましたが、自己肯定感が低いのか他人の顔色や態度が必要以上に気になって生きづらさを感じて過ごしてきた所があります。周りの人が聞いたらえー、まさかでしょう?の
反応が返って来そうですが、人の本質はわからないものです。
今は立派な押しも押されもしない中年で、そうまで思いつめる事はなくなりましたが、学生の頃は自分から死ぬ事はしないけど楽に死ねるなら人生いつ終わってもいいな、などと漠然と思っていた時期もありました。
今振り返って見るとそんなに辛い事ばっかりではなく
良い事も幸せな事もいっぱいあったから今の所は平凡な人生を歩んでいます。
それでも元々の気質が顔を出して疲れている時にイトケンさんの記事に出会えて、なんだか眼から鱗で何だか心が軽くなったのでツラツラとコメントしてしまいました。
人間と言うスーツを着て限られた期間の旅行?修業?
だと思い自分のノルマの人生を全うしなければいけないと思っています。寿命が来て人間のスーツを脱ぐ時も魂はそのままで、先に亡くなった父やペット達に会えるのも楽しみにして。
これからもよろしくお願いします。